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一世話人の願い

 

吉清一江 (「野の花ホーム」代表・世話人)

 

1. 川崎市の生活ホーム

 

(1) 川崎市心身障害者地域福祉協会(地福協)

川崎市では、昭和60(1985)年に、知的障害児者親の会、自閉症児者親の会、肢体不自由児者父母の会の3団体を母体として、財団法人川崎市心身障害者地域福祉協会(以下「地福協」といいます)が設立されました。それ以来、社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会にも加盟し、地福協育成会として活動しています。「地福協」の活動目標の一つには「親のなき後も安心して暮らせる施設づくり」がありますが、市内の入所施設は、他3団体が4ヶ所(成人3、児童1)を受けもつかたちになっており、「地福協」は主として、?@デイサービス事業(養護学校卒業生在宅ゼロ実現のための「地域福祉活動ホーム=作業室」8ヶ所の運営)、?A一時介護事業、?B生活ホーム事業(23ヶ所)を受けもっています。

また平成8(1996)年には、?Cデイサービス+ショートステイ施設「ライブラリー渡田」の開設と同時に、社会福祉法人「ともかわさき」を新設、理事を兼務して運営しています。

さらに最近?Dふれあいショツプ「喫茶せきれい」を市から委託されて開設しました。

毎年、地福協大会の要望スローガンには、「通所更生施設・入所更生施設の早期実現」が掲げられるのですが、これまでの実績からみると、「地福協」はその名にふさわしく地域生活支援事業を推進してきたといえます。

このような「地福協」を親の声の集約としながら、「福祉先進都市川崎」のイメージで行政を進めてきた川崎市ですが、今後は知的な障害をもつ人達だけの大型施設建設の財政確保は困難でしょうし、市内の各社会福祉法人の事業(福祉ホーム1ヶ所、通所授産施設5ヶ所、生活ホーム8ヶ所)とのバランスをとりながら、「かわさきノーマライゼーションプラン」に添って、在宅地域生活支援重視の方向へと施策が加速されていくとみられます。こうした中で、「地福協」自身の「親なき後の安心」の具体化が「入所施設に入れること」から「引き続き地域の中で暮らせるものなら……」と微妙に変化してきたように思えます。

 

(2) 親の意識は変わった?

平成10(1998)年現在、川崎市内の生活ホームは31ヶ所、136人が暮らしています。「地福協」が設立された昭和60(1985)年に川崎市の精神薄弱者生活ホーム制度が発足し、今年で14年目になります。生活ホームの近隣の住民の知的障害をもつ人達を見る目も変わり、利用メンバーの意識、特になにより親の意識の変化には大きなものがあります。

親たちの生活ホームに対する考え方は従来、「生活ホームは親のない人が入るものである。親がいるのにホームに入れて楽をしようとしている。子供と暮らすのは苦労ではなく、生きがいである。手離したくない。」「短期間の自立訓練のためなら入れてもよい。」「4人の住人で世話人1人では目が届くはずがないから、自宅がよい。」「自宅の方が広い。あんな狭いホームで暮らさせたくない。」というものでした。どちらかというとミニ施設のイメージだったでしょうか。

事実、初期に設立された生活ホームでは、ほとんどが両親がいないか、家庭にいられない事情のある人か、50代の高齢者かで占められていました。しかし何年か経つうちに、両親が健在でも自ら希望して入居する人(20代、30代の人達)がでてきました。

 

 

 

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