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読むカタカナ語辞典

前島きよ

六十二歳になる息子が「改訂版を購入したので不要になった」という年代物のカタカナ語辞典を座右の書と表現するといかにもキザでオーバーですが、ひまに任せて愛読しています。

つぎからつぎへと、まさにこれでもかこれでもかと言わんばかりに聞きなれないカタカナ語が毎日のように新登場するご時世ですから年代物では役に立たないケースが多いのが実状です。

それでも、結構、重宝しています。

新聞などに登場する知らない単語を検索して役に立たなくても、それがきっかけになってそのページを読破するという楽しみ方を覚えただけでも、私にとってはかなりの収穫です。

そういう意味ではカタカナ語辞典が私に新しい楽しみを与えてくれたことになります。といって、読破した個所を覚えたかと言えば、そんなことはなく、ただ「そういう意味だったのか」と、その時、納得する程度で記憶力はからきしだめで、年には勝てません。

まあ、知的なことですから、なんとなくテレビをつけっぱなしにしているよりはましと自分自身に言い聞かせ、せっせとカタカナ語辞典を読み続けています。

そんな中で、インターネットとかパーフェクトTVなどの単語は私とは無縁ですが、インフォームド・コンセントのような単語は「これはきっと自分に直接関係してくるぞ」などと、カタカナ語が身近な存在にすこしですが成りつつあります。

もう耳馴れた言葉になりましたが、電話で民生委員さんから「ドッキョロージンキューショクサービス」といわれた時は、てっきりカタカナ語だと勘違いしました。

耳の遠いせいもありますが、電話口で何度聞き直しても最初は意味不明で、その時はトンチンカンな返事をしたことを覚えています。

ドッキョが「独居」であることを、その後通知で知らされた時は「なんだ、そんなことだったのか」と、思わずふきだしたほどです。

一人暮しになってから十年になりますので、行政用語では私は「独居老人」ということになるのでしょうが、当初の印象が強かったこともありますが、いまだにこの独居という単語には抵抗を感じます。

私にとっては「独居」よりも「一人ぐらし」のほうが馴染めますし、なんとなく心が安らぎます。

いっそ「シングル」と表現してくれたほうがモダンな感じです。

「老人」にしてもしかりです。読んで字の如く「老いた人」では味気なく「お年寄り」といってもらったほうが、どんなにか私にとっては落ち着きます。

行政では高齢者という表現もしているようですが、どういうわけか「独居」が頭につくと「老人」という言葉になります。

ゴールドプランなどカタカナ語が頻繁に使われる今日、シルバーという単語で代用してくださって結構ですから、なんとか老人という用語だけは避けてもらえれば幸いなどと、人様にとってはつまらないことに固執する今日このごろです。

カタカナ語は必要に応じて登場し、ときに定着し、自然淘汰されていくものでしょうから、あえて私は現在の風潮が乱用だとは思っていませんが、内容をあいまいにしたり、ごまかしに使われることは許せないという感じを強くしています。

毎日「そういう意味だったのか」とカタカナ語辞典を部分的ですが読み耽っているだけに、息子や孫に対しては「人様にはハイカラぶらないでわかりやすい言葉で話すのよ」と説教しては疎まれる存在です。

そんな私ですが、辞書は読んでもおもしろいということを知りました。

 

 

 

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