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献体手続きを終えて

河瀬紀子

念願の会員証を手にいたしましたのは、平成八年五月二十九日、恩人の二度目の命日でした。私は、ささやかながら筆曲の教室を開いて居ります。尺八を趣味としていた彼が、全力で応援して下さり、お陰で、年二回の温習会が出来るようになって、十五年が過ぎました。いわば、私どもの大恩人なのです。その彼が肝硬変から肝臓ガンの道をたどり、平成五年十二月、県立会津総合病院に入院、手術のお世話になりました。

以来、平成八年三月二十九日まで、主治医となって下さった、外科の竹重先生には、筆舌に尽くせぬお世話になりました。専門家の付添いを厭う彼のため、ご家族と話し合い、七〜八人でチームを組み付添いをさせて戴きました。私は、仕事の都合で、二十一時〜翌日の十時までの担当です。手術当時、余命半年と言われていたそうですが、竹重先生の懸命のご努力により、医学の限界をこえて、生かして戴きました。平成八年十月二十五日、最期の入院生活に入りました。以来五ケ月、彼もつらかったでしょうが、見守ることしか出来ない私共もつらかった。そんな私共もを、励まし支えて下さった院長、婦長、Dr、ナースの皆様方のお力添えがあればこそ、専門家でもない私達が頑張れたのだと思います。夜中のナースコールに、即座に対応して下さる皆様方、いつも有難さに、手を合わせて居りました。なんの前触れも、苦しみも無く、突然最期がおとづれました。心不全でした。もう夜、出掛けて行く必要もなくなりました。私自身、生きる気力を失っていました。

そんなとき、思い出すのは、外科病棟のスタッフの方々の素晴らしさです。なんとかお礼の気持ちを形にしたい。その時、昔、現院長の千葉先生の言葉を思い出しました。一人の遺体で三人の外科医が育つのだが、その遺体が不足している……」これだ!今の私に出来るのは献体しかない。それからが大変でした。手続きの方法も分からず、偶然、新聞で見つけた志らぎく会総会の記事を頼りに、支部長さんを知り事務局長さん宅を教えて戴き、無我夢中で入会申し込み書を手にして居りました。今思いますと、お忙しい皆様方が、実に親切に対応して下さいました。ありがとうございました。待望の会員証を手にしたとき、私の心は晴れ渡りました。お世話になった方々に、これでお礼が出来る。その日がくるまで、しっかりと生きて行こう。いま、その勇気が沸々と沸いてくるのを感じております。これからもよろしくご指導の程お願い申し上げます。

 

 

 

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