日本財団 図書館


献体法のルーツをたどって

佐藤鉄雄

若き日は戦場で致命的な病気に、生死をさまよったが奇跡的に癒え八十歳まで生きることができ、ささやかながら社会の一端を担う身の幸せを感じながら、志らぎく会報に目を通しふと献体がいつからどのような経過を経て完全なものになったであろうか、おそらく多くの先人賢者達が苦難の道を歩いたことを推察しながら、そのルーツを辿って見たいと思い看護学校に通っている孫の本棚を探したところ、日本人の遺体観念を記述した本に献体と解剖という項目が見つかった。(波平恵美子著 死と医療の人類学、一九八八年 福武書店)専門書で全文を読むのは容易でないので、関係のある部分のみを抜粋し私見を添えながら書いて見ました。献体の法律は一九八五年、十一年前に公布されている。

昭和四十年代は医師の不足と医療水準の向上をめざして、一県一医科大の設立が実現したことにより俄かに医学生が増え、教育に必要な解剖体に不足を来たしたこと。

当時、遺体解剖については宗教上等の問題もあっていろいろのエピソード残されてあった。身元不明の病死者を法に基づいて大学が解剖に付した後に遺族が現れて訴を起したとか、生前に献体の登録をしたのにも拘らず、いざとなると遺族が承諾しなかったり。経済力のある都道府県では解剖体獲得の為に財力にものを言わせて争奪があったとか、こんな暗い世相を憂いて有識者は政府に意見書を提出し、解剖学会は理解と努力を積み重ね議員立法によって法制化し、深刻な解剖体の不足も漸次解決の方向に進んだ模様である。さて昔日の献体についてのアンケートを拾ってみると随分と興味の深いものが多い。死亡後でも身体にメスを入れるのは可愛想でむごい、死の尊厳が傷けられる。特に身体髪膚は父母より享くるものなれば、毀傷せざるは孝の始まり云々で伝統的な考えが残っているらしい。更に驚いたことは極楽に行くには五体満足でないと三途の川は渡れない。解剖学教室に家族と離れて独り寂しく過ごすのはたまらないし、見ず知らずの人達に身体をさらすのは恥ずかしい等、センチな考え方も少なくなかったようです。甚だしいのは献体すれば経済的な見返りを期待する傾向もあって、葬式費用を大学で出してくれないかの問い合わせ、又大学から経済的見返りがあるような世間の流布に堪えられない神経質な考え方。かつて死体解剖は浮浪者、罪人貧困者が使われて来たことから、不名誉な行為と考え、献体は一般からでなく病院医師医学生の近親者からの意見もあったとか。家という観念にとらわれ喪主は、盛大な葬儀を出して立派な墓を守ることによって、後継者として遺産相続が可能という。封建的因習に囚われ、子や兄弟特に嫁は立場上賛成したら冷たい奴と批判される。

いずれにせよ宗教や伝統的な因襲と各地方の習慣もあって、法制定まで相当の曲折があったことがうなづかれました。それにしても志らぎく会と申せば、篤志献体として社会全般から尊敬される時代が来ましたことは、多くの先人のなみなみならぬ苦労のあったこと痛切に感じ、今安住の日々を送り、医療を信じ、多くの方々の庇護と励ましに生きる幸せを更に強く認識した次第です。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION