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要件とされていない(吉原、1996:46)。

第4は、モノとサービスの違いである。製造企業ではモノをできる限り標準化し、現地に適応しない部分を改良する。だが、旅行企業は日本的なサービスの提供に努める。旅行者は異国情緒溢れる現地的なサービスを求める一方で、国内同様のサービスに対する要望も強い。旅行企業は日本人に合わせた日本的なサービスの提供を重視している。

このように旅行企業の海外進出には、自民族を中心とした経営行動が見られる。製造企業の海外進出は非日本人市場の開拓に積極的であるが、旅行企業は海外拠点においても日本人をメイン・ターゲットとしている。日本的経営は、製造業・非製造業に拘わらず、海外でも実施されている。主に製造企業を対象としてきた先行研究は、海外拠点における日本的経営の実施を、主として親会社との関係から説明してきた。それは、本国から社員を出向させることによって親会社―海外拠点間に緊密な関係を構築するというものである。この視点は非製造企業においても認められる。しかし、旅行企業では親会社との繋がりからだけでなく、顧客との対応の中から日本人中心のオペレーションが重視されている。日本の旅行企業の特徴は、自民族に基づく経営行動、つまり、「企業がエスノセントリック*7な基本姿勢に立ち、メイン・ターゲットである自民族に、自民族的なサービスの提供を重視する国際経営行動」なのである。旅行企業の経営行動は、海外においても「売り手は日本人、買い手も日本人、場所だけが海外」という構図を生み出しているのである。

 

?. なぜエスニックなのか

 

1. 急成長する日本人の海外旅行市場への対応

日本の旅行企業は長年、日本人旅行者だけを対象としてきた。その背景には、日本人の海外旅行市場の急成長がある。それは、三度に渡る海外旅行ブームに見られる。

第1次海外旅行ブームは、1964年の海外観光旅行の自由化に始まる。東京オリンピック開催による国内インフラストラクチャーの充実、高度経済成長、パッケージツアーの登場、GIT運賃とバルク運賃の導入。これらの要因が海外旅行を促進し、日本人の海外旅行者数は1964年の127,700人から5年後の1969年には492,800人へと約4倍に膨らんだ。第2次海外旅行ブームは、1970年のジャンボジェット機導入に始まる。航空運賃の値下げ、大阪万国博覧会の開催に加え、変動相場制への移行による円高傾向から海外旅行が大衆化した。1970年に663,000人だった日本人の海外旅行者数は1975年には2,446,000人へと5年間で約3.5倍になった。第3次海外旅行ブームは、1985年のプラザ合意以降の円高による。格安航空券の登場、国民所得の増加で輸入品や海外旅行に割安感が生まれた。また、海外旅行倍増計画(テン・ミリオン計画)が発表され、大阪国際花と緑の博覧会では国際意識が刺激された。バブル経済、週休2日制や有給休暇制度による余暇時間の増大、円高によるショッピングのメリットから個人的な海外旅行が増えた。1985年4,948,000人だった日本人の

 

 

 

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