美咲ファンタジー
■制作について
平成7年度よりスタートした「歌による市民文化運動」も、3年の期間を終えようとしています。その間に、舞台製作・プロデューサー・シンガーソングライター・歌のおねえさん&おかあさん・サンシティ音楽院・文化リーダー・児童合唱団・各種の文化クラブと、たくさんの人々がこのサンシティから生まれ、育ってまいりました。
その総決算として、市民による手作りのミュージカルを『飛翔音楽祭』の名で、平成9年度の最後(平成10年3月29日)に上演することにしました。
舞台製作・脚本・美術・音楽・ステージング(演出含む)の専門家を各部に1名程度配置されるものの、参加者全員「市民の手による制作」となりました。
■製作方法とその道程
“市民参加市”の製作とはいえ、普通完成された原作を基に、そこに市民が参加していくものです。ところが、今回はまずコンセプトの“提示”だけで、そこから市民の手により全て「立ち上げる」という最も危険で困難な方法がとられました。
その提示は、多くの出演者ができるだけ公平に各場面に出場し“輝ける”こと、歌と踊りで物語をつなげていき、子どもから大人まで楽しめる、明るく分かりやすい内容であること、などでした。
つまり出場人数を最初に振り分け、仮定の“配役”を決め、それに見合う物語りを作ることになったわけです。
当然最初から難航し、原案も十本になりました。そのなかで民話を基に、ひとりの少女がメルヘンの世界に入り、戻ってくる原案が採用され、それが全体の柱になりました。
それを「美咲ファンタジー」と名付け、制作スタッフの参加によりまとめていくことになりました。オーディション前後はそこまでしか決まっていませんでした。
制作スタッフは、その“柱”だけを貰い、各人が"詩"の世界でふくらましていきそれがそのまま物語りになるようにしました。当然、各人のイメージの違いがそれぞれの"美咲"を生むことになり、収拾がつかない発展をみることになりました。
スタッフの持ち寄った詩の内容を討議するうちに、次第に物語りの“骨”が出来上がってきました。その頃、原作の平凡な内容の話しを、実際に美咲が経験するという「二重構造」の物語りに進展しましたが、八月の末にはシナリオが全然決まらない状態でした。
そしてイメージが決まりつつある秋に、参加者に配付される概要台本とエンディングテーマが完成しました。
そして曲の発注も同時進行にして、試作品を持ち寄りスタッフで討議して、詩・曲のそれぞれに各担当責任者からOKがでるようになり、OK分は順次そのまま練習に入っていきました。
スタッフは一曲の完成に各人が何回も書き直し、おそらく三本分のミュージカルの量の作品が積み上げられることになっていきました。しかし全体の約半分ほどの詩と曲が揃ったものの、細部の調整(前後の展開や演出から見て)が出来ず、そのまま年を越すことになりました。
年末・年始に脚本の細部を見直し(練習番号の付け直しから)、松が明ける頃から再び量産態勢に入り、練習と同時に創作が進行していきました。一月中旬厳冬のなか、それは“勝負の季節”でした。脚本・詩・曲は完成しても、オーケストラの編曲と写譜と練習のタイムリミットも迫っていました。そして振付け、演出との調整は最後まで続き“薄氷を踏む”製作となりました。
■制作記録【平成8年】
10月16日
「オリジナル・ミュージカル」制作準備委員会発足準備委員会メンバー
■総括・音楽監督
坪能克裕
■脚本
名村 宏
■音楽
関根 充子
喜多 陽子
鈴木 由美子
■プロデューサー
江原 実
■制作助手
平沢 典子
以上7名
12月12日
第2回準備委員会〈脚本〉
【平成9年】
3月18日
第3回準備委員会〈脚本・制作〉
4月1日
出演者・スタッフ募集開始 準備委員会→制作委員会に移行
23日
制作会議〈脚本〉
30日
出演者・スタッフ募集締め切り
5月4日
市民スタッフ面接 12名参加
■審査員
宮田 典男〈サンシティホール館長〉
坪能 克裕〈音楽監督〉
今井 友晴〈金井大道具(株)取締役〉
小川 富市〈(株)パシフィックアートセンター常務取締役〉
平井 一夫〈プロデューサー〉
江原 実 〈プロデューサー〉
制作会議〈舞台製作〉
5月5日
面接結果通知 発送
5月24日
出演者オーディション 112名参加
■審査員
宮田 典男〈サンシティホール館長〉
名村 宏 〈詩人〉
畑ヶ山友美子〈女優〉
坪能 克裕〈音楽監督〉
望月 和子〈音楽家〉
江原 実 〈プロデューサー〉
5月29日
オーディション結果通知 発送
6月4日
結団式及びオリエンテーション
6月21日
制作会議〈美術〉
6月27日
制作会議〈脚本〉