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ソ連構成共和国としてのウクライナ共和国が生まれ、ウクライナ人は、16世紀のリトアニアとポーランドの合同以来初めて、この地の主人と宣言された。ロシア革命以降、ポーランド人とユダヤ人に替わって、ロシア人がドニエプル川以西にようやく移住して来るようになった。つまり、今世紀、左岸ウクライナと右岸ウクライナとは(ウクライナ人とロシア人が支配的な民族であるという点で)ある程度は同質的な社会となったのである。

第二次世界大戦前夜、ソ連はハリチナを併合し、これによりソ連邦構成共和国としてのウクライナは全国土を統一した。独ソ戦が始まると、ハリチナでは、スターリニズム、ナチズム、ポーランド人、ユダヤ人を一掃してハリチナを民族的に浄化することを目指すウクライナ・パルチザン軍(UPA=ウパ)がゲリラ戦を展開した。彼らは大戦が終わっても生き延び、1950年代末まで掃討されることはなかった。スターリニズムは、戦後にはハリナナからポーランド人を追い出し、ハリチナのユダヤ人も、スターリニズムとナチズムの相継ぐ占領下で大打撃を蒙った。

つまり、右岸ウクライナで起こった脱ポーランド化、脱ユダヤ化がハリチナでも起こったのである。

1917年以降ようやく始まったドニエプル以西へのロシア人の進出は、現地のウクライナ人にとっては、農業集団化に伴う飢饉、大チロル、ウクライナ語の衰退、チェルノブイリ事故などの諸悲劇と不可分の出来事であった。19世紀以前のウクライナ人が、反ポーランド、反ユダヤの文脈で自己意識を形成したとするならば、20世紀のウクライナ人は、ロシア人との対抗において民族意識を形成した。

総じて、20世紀ウクライナ史の趨勢は、「脱ポーランド化」「脱ユダヤ化」「ウクライナ化」「ロシア語化」の四つの概念に集約される(16)。ウクライナ民族主義的な考え方をとる人は、「ロシア語化」と「ロシア化」を混同して、20世紀のウクライナは「ロシア化」=「脱ウクライナ化」されたのだと主張することがしばしばだが、これは、19世紀のドニエプル川以西のウクライナがいかにポーランド的であったか、ユダヤ的であったかを無視する議論である。

以上の歴史を反映して、ウクライナには、正教会キエフ総主教座、正教独立教会(avtokefal'na tserkva)、グレコ・カトリック、正教会モスクワ総主教座、カトリックの五つのキリスト教系宗派が存在する。カトリック教会の勢力は1917年革命以前にはドニエプル川にまで達していたが、既述の事情でポーランド系住民がウクライナから追放されたことを反映して弱体化した。グレコ・カトリック教会は、ポーランドとリトアニアが合同し、ウクライナがポーランド領となった16世紀の末に、現地正教住民を旧教化するために創出された宗教である。旧教と正教が「合同」した建前をとっており(そのため、合同教会、ユニエイトなどと呼ばれる)、ローマ法王の

 

 

 

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