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理・分析する。この課に付随して、市・地区新聞編集者が集う「社会会議」が設置されている。?と「社会会議」とが協力して、市・地区新聞が抱える悩みに対処するのである。たとえば、印刷施設を複数の新聞社で共用することによってコストを下げる、リソグラフ購入に資金援助する、経営状態が悪い市・地区新聞は合併させて1紙で2、3の市・地区をカバーさせるなどである。

ちなみに、より高いレベル、つまり知事に直属しても「諮問会議」が設置されており、ここには(市・地区レベルではなく)クライ・レベルの新聞の編集者が参加する。「諮問会議」は、知事の政策を視聴者向けにコンセプト化することを助けるのである。

知事のプレス・セクレタリー報道情報部長であるナターリヤ・フストフスカヤに、ほかのリージョンにおける知事プレス・セクレタリーは(激務なので)男性である場合が多いようだがと筆者が尋ねると、「(沿海地方のプレス・セクレタリーは大変すぎて)男性じゃ忍耐が続かないわよ」と笑った後、(エリツィンのプレス・セクレタリーの)ヤストゥルジェムスキーは、アメリカ大統領のプレス・セクレタリーを模倣しているのである;自分の役割はあのようなプレス・セクレタリーではなく、むしろ管理者(upravlenets)である;報道情報部全体がいわば集団的プレス・セクレタリーであり、クライのマスコミが抱える問題を一緒に解決してゆくのが自分の仕事である、と答えてくれた(86)。

親分肌の伝統的な政治指導と現代的な広報テクノロジーとを結合したナズドラチェンコの手腕はたいしたものであると言わなければならない。しかし同時に、緊縮財政下で学校、病院、幼稚園などが閉鎖されている一方で宣伝機構にばかりこれだけの資源を投入する姿勢は批判されてもやむを得ないだろう。

 

(2) 市議会の不成立

 

ロシアの通常の市では、十月事件でソビエトが廃止された約半年後、1994年の春に市議会選挙が行われ、住民代表機関が復活した(その権限は、かつてのソビエトよりずっと小さかったが)。沿海地方においても、ほかのリージョンと同様、1994年春(3月27日)、クライ議会選挙と同日にクライ内12の市において市議選が行われるはずであった。ところが、3月16日のチェレプコーフの市庁舎からの強制排除の煽りを受けて、翌3月17日には、ナズドラチェンコ知事が、十日後に予定されていた沿海地方議会選挙と12市議会選挙の両方を、その年の10月23日まで約半年間延期するという決定を下した[1回目の流産]。この「空白の半年」の間(具体的にはクライ議会選挙予定日の約2週間前の10月7日)にナズドラチェンコが沿海地方知事選挙を実施し、公選知事になろうとしたことは有名である。自分に

 

 

 

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