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挙においてエリツィンが地方エリートの動員に成功したことは、この宥和政策が成功したことを示している。しかも同年末にリージョンの知事が(大統領による任命ではなく)直接公選されるようになったことは、モスクワとの関係におけるリージョンエリートの力をいっそう強め、分割統治政策は過去の遺物となった感があった。おそらく連邦唯一の例外はタンボフ州であったが(7)、これは同州において共産党があまりにも強いことに対する中央の対抗措置であり、明らかに例外的なものであった。

沿海地方に戻って考察すれば、1994年1月にイグナチェンコが(ナズドラチェンコと対立していた前任のブートフに代わって)大統領全権代表に任命され、続いてチェレプコーフがウラジオストク市長から解任されたことは、「地方エリートの分割統治から地方エリート総体との妥協へ」という大統領派の当時の全国的な政策変化を反映したものだった。では、強大になりすぎたナズドラチェンコの権力を製肘するために、1996年から97年にかけてモスクワが再び沿海地方首都の市長と大統領全権代表を利用し始めたことは、例外的な措置であろうか、それとも全国的なリージョン政策の再変化(再硬化)の前触れであろうか(8)。沿海地方政治の特殊性を考察することは、この問いにもある程度の回答を与えるだろう。

ここで、本稿の用語法について一言述べておきたい。1998年憲法採択以降のロシア語における地方行政単位の用語の体系は図表2に示す通りである(これはあくまで言葉の体系を示す図であって、政府間関係を示すものではない。政府間関係については、拙稿「独立ウクライナにおける地方制度建設」(本調査研究報告書第4章)図表2を参照せよ)。

問題なのは、図表2の網掛け部が日本語では全て「地方」と表現されることである。逆に言えば、日本語の「地方」に該当しうるロシア語は、?中央の反対語としての一般的な意味での地方、?連邦構成主体=広域行政単位の総称としての「レギオヌィ」、?下層行政単位であり、地方自治の主体としての地区と市町村、?

 

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