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セルゲイ・ラフマニノフ   パガニーニの主題による狂詩曲作品43   (1873−1943)

 

 

1927年にラフマニノフが発表した4曲めのピアノ協奏曲は、それまでのピアノ協奏曲とは対照的にあまり芳ばしくない出来に終り、その後5年の間、ピアニストでもあるラフマニノフはピアノのための新作を発表していない。しかし、1932年になると「コレルリの主題による変奏曲」をピアノ独奏用に作曲し、自身のコンサート・ツアーで演奏。聴衆の反応に非常に元気づけられたラフマニノフはその2年後、やがてピアノ協奏曲第2番と人気を競うようになる「パガニーニの主題による狂詩曲」を発表した。「パガニーニ・ラプソディ」として知られるようになったこの作品は、パガニーニの「ヴァイオリン独奏用の24の奇想曲(カプリース)」の最後の曲の主題にもとづいて作られた変奏曲である。(ブラームス、シューマンをはじめとする多くの作曲家もこの曲の変奏曲を作っている)。この作品は1934年11月7日、ボルティモアでラフマニノフの独奏、レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏で初演、成功を収めている。
曲の冒頭には、主題が提示される代りに、オーケストラによる9小節の短い序奏が置かれている。そのあと変奏1に続き、ピアノがリズミカルにアクセントを刻む中、ヴァイオリンがパガニーニの主題全体をイ短調(原曲の調と同じ)で奏でる。この曲は全部で24の変奏から成っており、協奏曲でいえば3つの楽章にあたるグループに分けることができるが、最後まで休むことなく演奏される。
いくつかの変奏にはパガニーニの主題に古代の単旋律聖歌「ディエス・イレー(怒りの日)」が織り込まれている。これは研究者によりアッシジの聖フランチェスコの弟子でその伝記作家でもあったトマーゾ・デ・チェラーノの作とされている。この聖歌は明らかにラフマニノフにとって重要な意味があったようで、他の作品でも用いている。交響詩「死の島」、そして「パガニーニの主題による狂詩曲」に続いて作曲された最後期の作品「交響曲第3番」と「交響的舞曲(シンフォニック・ダンス)」である。
この狂詩曲はパガニーニの主題を分解したり、入念に細工したりすることにあまりこだわらず、異なるリズムと和声の中で提示することに概ね重きをおいている。「怒りの日」の旋律はまず、変奏7で用いられ、それに続く3つの変奏にも現われる。2,3の変奏を除きピアノはすべて叙情的というより打楽器的に使われており、ラフマニノフは初期の作品のロマンティシズムに代り、寡黙で簡潔なスタイルをとっている。唯一の例外は豪華なオーケストレーションの変奏18で、この作曲家の初期のスタイルが現われ、ゆっくりとした中間部分のクライマックスをかたちづくっている。
続く変奏はトッカータ風のピアノと共にさらにきらびやかな最後の部分の始まりを告げ、オーケストラはピアノの豪快華麗なテクニックに助けられ壮大な音楽を奏でる。この狂詩曲はラフマニノフのピアノと管弦楽のための作品のなかでも最も独創に富み、徐々に表現が激しさを増していく冒頭から、パガニーニのメロディーの無邪気でちょっとしたユーモアが、最後までまとわりつこうとする「怒りの日」の旋律を払いのけるきらめくフィナーレまで、簡明でバランスのとれた作品である。
休憩:後半の5分前に鐘の音が鳴り、皆様に開演をお知らせいたします。

 

 

 

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