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第11回日本バレエフェスティバル プログラム

 事業名 日本バレエフェスティバルの開催
 団体名 橘秋子記念財団 注目度注目度2


マジリエの振付、アダンの音楽で、1856年にパリ・オペラ座で初演された。因みに、アダンは、この数ヶ月後にこの世を去ったので、14曲のバレエの中で最後の作品といえる。このバレエも、ロシアで1O年後の1866年に、プティパによって上演される際、ドリーブやプー二によって曲が書き加えられた。ドリーブが作曲した部分は、現在「花のディベルティスマン」として知られ、有名な「ナイラ・ワルツ」はここに含まれる。
さて、1899年に、このバレエを再演するに際して、プティパの秘蔵っ子のバレリーナ、P.レニアー二(プティパ、イワノフ版の「白鳥の湖」で初めてオデット、オディールを踊った人として有名)のために、ドリゴに作曲を依頼したのが、ギリシャ人の娘メドーラとコンラッドの、このパ・ド・ドゥである。このパ・ド・ドゥは、特にマーゴ・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフの2人によって、広く世に知られるようになった。このパ・ド・ドゥの原型は、パ・ド・トロワであったとの説もあり、ここでのメドゥーラが踊るヴァリエーションは、さまざまな音楽と、それに伴う振付が存在する。
ヌレエフ版で、フォンテーンが踊った曲は、実は、アントン・シモン(1850年パリ生まれで、パリ音楽院を卒業後ロシアに行き、モスクワの帝室劇場の音楽監督になった人)作曲の、原題を「舞踏全の思い出」と題する曲の一部で、ゴルスキー版の「ドン・キホーテ」で“夢の場の女王”のソロの曲として転用されている。
現在、スコティッシュ・バレエ団などで踊られているものは、ガリーナ・サムソーバによって伝えられたもので、この2拍子の曲は、本来のドリゴのものと考えられる。他に、エヴァ・エフドキモワによって踊られたヴァリエーション(「パキータ」よりの転用)、ポントワや、ズンボーによって踊られる3拍子の曲(これも「パキータ」に含まれる)、そしてしばしばロシア系のダンサーの踊る曲(本来は「バヤデルカ」のガムザッティのヴァリエーション)など、少なくとも5種類の曲が、コンクールなどで踊られている。
尚、コンラッドのヴァリエーションは、名舞踊手であったワフタング・チャブキアー二(VakhtangChaboukiani)によって、1930年にプティパに基づいて作り直されたものが踏襲されている。

「ドニゼッティ・ヴァリエーション」

“Donizetti Variations”

音楽●G.ドニゼッティ/G.Donizetti
振付●G.パランシン/G.Balanchine
イタリア歌劇作曲家としてガエターノ・ドニゼッティ=GaetanoDonizetti=(1797−1848)は、ロッシー二とヴェルディをつなぐ重要な作曲家として数々の名作を残した。代表作としては、出世作の「アンナ・ボレーナ」、有名なアリア『人知れぬ涙』で知られる「愛の妙薬」、ジゼルに匹敵する狂乱の場を有する事で知られる「ランメルモーアのルチア」などがあるが、1840年にパリ・オペラ座で初演した「ファボリータ」と、最後の作品となった「ドン・セバスティアン」=正確には「ポルトガル王ドン・セバスティアン(DonSebastien,roidePortugal)=パリ・オペラ座で1843年初演=には、当然の如く、パリの聴衆の好みに合わせて、ディヴェルティスマンの形のバレエ場面がある。
バランシンは、当初“SalutetoItaly”=イタリアに挨拶=と題して、ロッシー二(コン・アモーレ)、ジェズアルド(ストラヴィンスキー編曲のモニュメンタム)、べルリーニ(夢遊病の女)、ドニゼッティ(ドン・セバスティアン)と、イタリアの作曲家4人による作品を発表した。これはイタリア国家統一100年を記念したものだったようである。
後に、「ドニゼッティ・ヴァリエーション」としてオペラ「ドン・セバスティアン」のバレエ・ディベルティスマンの音楽を基に、パ・ド・ドゥを中心としたバレエを振付け、1960年に、ニューヨーク・シティバレエ団で初演され、メリッサ・ヘイドンとジョナサン・ワッツがタイトルロールを踊った。

「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドウ

Grand Pas de deux from“Don Quixote”

音楽●L.ミンクス/L.Minkus
振付●M.プティパ/M.Petipa
音楽のミンクス(本名はAloisiusLudwigMinkus=フランス流にLeonMinkusと云う場含もある)は、1827年ウィーンに生れたオーストリアの作曲家で、パリのオペラ座でドリーブと共作になるバレエ「泉」を発表したあと、ロシアに渡ってプティパの台本振付による「ドン・キホーテ」を作曲し(1869年)、これがロシアでのデビューとなったといわれている。他にもプティパの依頼で、デルデヴェスの音楽による古いバレエ「パキータ」の為のディヴェルティスマンの追加作曲や、「ラ・バヤデール」(1877年)など、主として19世紀末のロシアバレエの作曲家として約20曲のバレエを作曲した。
この有名なグラン・パ・ド・ドゥも、当初はパ・ド・カトル(4人の踊り)として作曲され、現在キトリによって踊られるヴァリエーションの曲は含まれていない。
帝政ロシア末期に、権勢をほしいままにした大バレリーナに、クシェシンスカ(Kschessinska)という人がいて、(彼女は、1893年以降マリンスキー劇場のプリマ・バレリーナとなり、1895年には、バレリーナ・アソルタ=宮廷バレリーナ、これはレニャー二以降、彼女が2度目=を受け、皇帝の庇護も受け、彼女の前には、劇場の支配人も、バレエの総監督もひざまずかなければならなかった。)彼女が、このバレエの主役キトリを踊ることになった時、オリジナルのヴァリエーションをやめて、彼女自身の振付で、曲を差し替えたということである。(クシェシンスカの踊りは、アレキサンドラ・ダニロワに直伝で伝わった。)
この音楽は、ミンクスが「ラ・バヤデール」の次に作曲した全四幕からなるバレエ「ロクサーヌ」(1877年初演)の一曲で、別名“扇の曲”と呼ばれている。

 

 

 

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更新日: 2019年7月20日

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