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要員の研修を行い、続いてほぽ全国(44県、400郡)の高価な薬剤(RFP,PZA,EB)および検査室機器の供与および技術的な指導から成る。
1989年からはオーストラリア結核胸部協会(ATCA)が援助を始めた。これは結核菌検査に関するもので、複数の県レベルの要員の研修、資機材の供与を行うものである。またその他フランス(CIDSE)や他の国の小規模な地域指定の援助プロジェクトもある。JICAは1975年以前の南ベトナム時代から統一後も結核対策研修課程への研修生の受け入れを行っている。
上のなかですぐれた治療成績を約束しているようにみえる短期療法のための薬剤の援助が最も重要と思われるが、この点でべトナムのプログラムは援助への依存は決定的といわなわければならない。しかし、その貴重な援助の利用はきわめて効果的であり、この点でのベトナム側の努力は評価しなければならない。

 

9) 考察
疫学的にいって、この国の結核問題は南北較差もあるが、全体的に未だに相当大きいというべきであろう。しかも対策も本格的に始まってからまだ数年に満たない。
しかし、その機構と方向性とは中央集権制度とこの国の社会主義体制に立脚した地方自治を利用したプライマリーヘルスケアに統合されたすぐれたものであると思われる。
人的資源にも比較的恵まれている点がこれに幸いしていることもあろう。
この国の結核対策の将来は多いに期待がもてる。
1989年に始まる短期化学療法の採用は、オランダの援助をとりつけ、またそれを効果的に受け入れる受け皿を準備したことでこの点でも期待がいっそう大きい。
調査した範囲では標準治療の成績は、あのレジメンとしては相当いい成績であったといえる。その点で短期化学療法を受け入れる期が熟していたといえるのかも知れない。
短期療法は、既に初期のパイロットの時期を過ぎ、ルチンの時期に入っても初期の相当いい成績を保持しつつ拡大されつつある。
ではベトナムの結核対策のこのような好成績を生み出す原因はどこにあるのか。
タンザニアの入院治療の利用のようなユニークな原因は一部を除いては見あたらない。
行政機構の整備、住民参加の普及、人的資源の豊富さ、住民の適当な結核への関心・恐怖心、リーダーシップ(結核研究所所長やDr Le Ba Tungなどにみるように)、そしてこれまでの努力とが混然となって有利な状況を作りだした、これに郡レベルまでかなり縦割の結核サービスがうまく適合した、ということであろうか。外国の援助の効果的な受け入れの体制も同様にして可能であったと考えたい。
ただし、いくつか問題もありそうである。例を挙げれば菌検査の精度管理体制の拡充の必要性である。クロスチェックは必ずしも確実に実施されていないし、

 

 

 

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