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国際協力結核予防セミナー報告書(開催地インドネシア・ベトナム)

 事業名 国際協力結核予防セミナーの開催
 団体名 結核予防会 注目度注目度5


5. ベトナムの結核対策の状況

 

以下は今回の訪問に際して当地の施設の視察や面談、資料入手を通して得られたべトナムの結核対策に関する情報の要約である。

 

1. 背景

1) 地理・歴史
ベトナム社会主義共和国はインドシナ半島の東側を細長くふちどり、北は中国、西北はラオス、南西はカンボジアにそれぞれ接している。面積は33万平方キロ、南北の距離は直線でも1,650キロにおよぶため南北の気候風土もかなり異なる。北部は中国に接する山岳・高原地帯が多く、また重要な河川であるソンコイ川が流れ、下流にはデルタが広がりハノイ(河内)の地を形成する。南部は広大なメコン・デルタとなっている。
人口は1989年国勢調査によれば約6,440万人、人口密度は平方キロメートル当り195であるが、北部は一般に稠密である。
人口増加率は2.3%と高く、人口問題は深刻である。紀元前からこの地は中国からの人口の流入と政治・文化の影響を受けてきたが、10世紀に中国の統治から完全に離れ、次第に統一国家の形を整えていった。1009年李朝の成立をみるに至り、その後19世紀のグエン王朝まで、文化的にも独自のべトナム国家が完成する。19世紀中葉にはフランスの植民地と化し、この体制が第二次大戦中侵攻した日本の敗退まで続いた。日本が去った後、ホーチミンの指揮するハノイにベトナム民主共和国臨時政府が樹立され、名目ともにフランスからの独立をかち取った。その後、北のベトナム民主共和国と南のベトナム共和国という南北2つの政府が作られたが、北政府は米国等の干渉を英雄的な抵抗で打破し、1975年30年ぶりの南北統一を果たし、1976年統一国会によって「ベトナム社会主義共和国」が発足した。その後社会主義国として建設を進めてきたが、その後は種々の苦難が絶えず、ついにはソ連の解体に至る。政府は「ドイモイ(刷新)政策」に代表される柔軟な経済政策に転じ、ようやく国に活気がよみがえった感がある。
教育水準は比較的高く、識字率は88%(男93%、女84%)、特に44歳以下では男女とも90%以上に達する。就学状況をみると現在の小学校就学率は89%程度、また10歳以上では、「就学経験なし」が男7.8%、女16.7%、中学校以上がそれぞれ11.8%、8.9%となっている。

 

2) 行政機構
1980年に公布されたべトナム社会主義憲法のもと、大統領−首相を頂点とする強力な中央集権体制が敷かれている。全国は総数53の県(Province)に分け

 

 

 

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更新日: 2019年8月24日

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