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○室戸台風
風速60メートル。史上最大の室戸台風は神崎川の中洲の低地に立つ外島保養園を直撃。
すべての建物は壊滅し、患者173人が犠牲となった。
外島保養園は閉鎖され、後に邑久光明園として再生する。
人間尊重の灯をかかげ、時代の嵐に吹き倒された村田正太らの志を忘れることは出来ない。

長島愛生園・誰がために鐘は鳴る

○瀬戸内海。船が行く。
○長島。愛生園。
○園内風景。本部の建物、礼拝堂、光ケ丘。
瀬戸内溝に浮がぶ長島の愛生園は、初の国立ハンセン病療養所として昭和六年、開園。
光田健帽以下八十一名が開拓の志を抱いて全生園から移った。豚や、鶏や、七面鳥まで連れた一行は、ノアの箱船のように島へ渡った。
然し、新しい療養所とあって、全国から多くの患者が送り込まれ、たちまち定員の倍ちかくになった。
「同病相愛」の掛声で「一食を分かち、一座をゆずり」詰め込まれた。予算は限られている。当然、生活の質は低下した。作業は増えても賃金は上がらない。患者の不満は爆発した。逃走しようとしていた四人が監禁室へ入れられる。作業拒否、ハンスト、全員の決起集会で、盗聴の職員が発見される。園内デモに恐れた職員が消防ホースで放水する。投石、破壊。
○恵の鐘
○日中戦争始まる。
“革命の時期到来!”“長島監獄療養所”などのビラが張られた。
集会のたびに乱打されてついに、恵の鐘も割れた。“コレ、現制度ノ欠陥卜園当局者ノ指導方針の誤記ヲ如実ニ物語ルノミ、原因ハ園長ノ売名的外交ト苦々ノ人格無視ニアリ。カクシテ、恵ノ鏡ハ産生ノ暁録トナリ革新ノ声トナル。光田園長ノ功績ト、社会的体面ヲ無視スルニアラネド、吾等ハ覚悟シ、敢エテ恩師ニ弓ヲヒク。”
患者たちが、内務大臣へ出した「嘆願書」である。光田園長の辞任と、自治制の確立を求めた、この斗争は、自治の容認で決着した。然し、患者に、不信任をつきつけられた光田健輔のショックは大きかった。それは、光田イズム、即ち強制隔難政策に対する根本的不信だったからである。恵の鐘は、誰のために、鳴ったのか。
日本は、中国への侵略を開始した。外に対して攻撃的な国家は、内部に対しても抑圧的になる。ハンセン病療養所は、その圧力を受けるようになる。

 

 

 

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