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大分医科大学献体の歩み

 

大分医科大学

 

昭和51年10月1日の開学以来、本学では、昭和53年4月に第1期生が入学、次いで、昭和55年5月から12月中旬まで、その、最初の解剖実習が行われたが、これに先立って、昭和49年からは大学創設の準備が行われ、早くも、同50年6月18日には通称白菊会に第一号の方の入会があった。51年2月には大分県が「大分医科大学解剖体確保対策要項」を定め、一方、同年8月には「白菊会」の名のもとに献体運動推進協議会を開催し、「献体運動を進めよう」との趣意書を作成し、県下の各保健所、県の各地方機関、市町村、県医師会、各医療機関等の窓口に配布依頼するとともに、献体の意義を新聞、テレビを通じ県民に訴えた。
52年9月24日には大分県環境保健部長の肝煎りで正式に大分医科大学白菊会が会員39名を以て発足、初代会長に江藤茂氏を選出し、事務局は当初、大分県環境保健部に置いたが、翌53年1月18日からは大分医科大学庶務課内に移管した。59年5月からは阿部茂人氏が会長になられ、現在は学生課が白菊会の窓口となっている。一方、53年4月には宮内亮輔教授が、また、翌54年4月には中村三雄教授が解剖学講座に赴任され、解剖体の確保に日夜腐心された。
開学当時は、一般の人には「献体」という言葉に馴染みがなく、「県体」(県民体育大会)と間違えられたという苦労話もある。平成4年8月には私が本学教授に赴任したが、御遺体の御引取りには必ず解剖学教室から教授も含め教官1名と技官1名及び庶務課と学生課から各1名の計4名が当っている。慰霊碑及び納骨堂は55年3月に大学構内に建立され、毎年秋には大学に於いて解剖体慰霊祭が学長以下教職員、学生(医学科3、4年生及び看護学科生)の出席のもと厳粛に執り行われる(写真1)。また、同日の白菊会総会では、昨年からは医学科2年生も全員出席して会員の方々のお世話をし、昼食を共にして親しく話し合う親睦の会にしている。同時に3年生を代表して数名に解剖実習を終えた感想を皆の前で発表して貰っている(写真2)。
本学は大分県民の待望久しかった医科大学でもあり、官民挙げての大変な御理解と御協力を仰ぐことができ、また、教室員はもちろんのこと全学的なバックアップのもとに献体は順調に経過しており、本年4月1日からは当分の間、原則的に白菊会の方々からのみ献体を仰ぐことにさせていただいた。誠に有り難いことと感謝の念ひとしおであるとともに、献体者の意を体して良医の育成に一層励まなければならないと思いを新たにしている。
(解剖学教授 臼井猛史)

 

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