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献体運動推進のため

 

産業医科大学医聖会

 

産業医科大学の所在地、北九州市は、昭和38年2月10日、5市合併(小倉、若松、戸畑、門司、八幡の各市)した人口100万の政令都市で、近隣の直方(のうがた)市、中間(なかま)市、飯塚(いいづか)市、その他などを含め150万の人口がある地域です。この様な当市の地理的条件は、献体の確保にとって極めて有利であろうと考えます。
開学当初、2年目から開始の解剖学実習のため、第1講座北條教授を中心に御献体の確保が急がれ、昭和53年10月には献体の会、医聖会と同事務室の設置されまして、同年12月に土谷春海(同会事務長)および因善生の両氏が同会係りの職員として発令、第1解剖学北條教授とともに献体業務の達成に当たりました。第1号の御献体は医師であり当時の眼科学栗本晋二教授の御尊父でした。翌年3月にかけて御遺体の確保も多くなって13体に達し、昭和54年医学部第1期生の解剖学実習が学生4人に1体で行われました。昭和54年4月、東京医科歯科大学主催第84回日本解剖学会総会、全国篤志解剖連合会総会の席上、医聖会の同会への参加が公式に認められました。
献体業務の開始の頃は、本学にはまだ保管の設備が無く、山口県宇部市の山口大学医学部解剖学教室のお世話になり、特に献体が急ピッチの頃は冬季となり、降る雪の中、北條は土谷、因とともに同大学まで出張し、大変お世話になりました。新設医科大学の事情はどこも似たようなものであったろうと思います。現在有り余るほどの御献体の大学もあることを聞き、誠に感慨無量なものがありますが、献体の精神とその業務が重要であることには変わり無く、医学教育における倫理教育と人間の尊厳の更なる確立のために、医聖会の責任は益々重くなるものと考えられます。
年1回の6月の同会総会の日に、同会理事会を開きます。また内科4人、眼科1人、整形外科2人の医師と看護婦2人の健康相談、記念写真撮影、軽食の懇親会には、160人前後が参加しています(写真)。現在会員は、1,200人ほど、会報「医聖会」を年1回発行し、会員の意見、感想、俳句、短歌、会員名簿、大学ニュースの紹介などを掲載しています。
献体業務は、医聖会事務室と第1解剖学教室が中心となって行い順調で、1991年度は一人1体を達成しました。最近では、解剖学実習御遺体全体に占める医聖会会員の割合、篤志献体比率は80パーセントに達しています。
当初から無宗教の慰霊式として、大学主催、献体に関するお盆供養として8月に行っていましたが、現在1月に行なっています。

 

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