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献体運動50年に思う

 

大阪歯科大学黄菊会

 

日本で献体活動が始まってから半世紀がたつとは、本当に月日が過ぎるのは早いものです。昨年は全国篤志連合会が創立25周年を迎え種々の記念行事が行われましたことは、本当に喜ばしいことでありました。平成9年には、我が大阪歯科大学黄菊会も創立25周年を迎えようとしています。わずか20人足らずの会員数で発足した黄菊会も、今や最後尾の会員番号は2200近くにまでなり、成願された会員も500名になろうとしています。篤志連合会の発展とともに黄菊会も成長して参りました。
黄菊会の結成に尽力されました初代会長の故松本音吉氏とは、私が大学で医学書を販売している関係から、黄菊会結成当初から話を持ちかけられ、また、いろいろな所へもお供させていただきました。会員番号もラッキー7をいただき、今では私より若い番号で生きている人はたった一人となりました。故松本前会長は極めてまめなおひとで、献体に関する新聞記事を全てスクラップブックとして残され、よく私や解剖学の太田義邦前教授のもとへそのコピーを持参し、用件をすまされていました。
「献体」で思い出しますのは、日本で献体活動が始まってから30年が過ぎようとしていた昭和50年頃、故松本前会長がいくつもの国語事典をお持ちになり、どの事典を調べても「献体」という言葉が載っていないと憤慨され、いろいろな出版社へ問い合わせをされていたことでした。篤志連合会の働きかけもあってか、昭和60年を過ぎる頃からポツポツと辞書に「献体」の文字が見られるようになり、私もそれを見て、献体もようやく市民権を得たものだと感じました。その頃はちょうど大阪大学白菊会と献体に関して提携したこともあり、黄菊会への入会者が急激に増加したのでした。本当に喜ばしいことでした。しかし、その後、献体思想が普及した反面、ほんの一部の人と思われるのですが、入会を希望される方の中に、結成当初の人達と少し異なる意識を持っている人達が現れるようになりました。入会に関する問い合わせのとき、ご遺骨は引き取らなくても良いか、とか、納骨堂はあるのか、などと尋ねる人が多くなってきたのです。本来、篤志であるべき献体なのですが、悪くいえば「お墓」の代わりに献体会を利用しようと考える人が多くなってきたのです。一方、都市圏にある献体会では入会者が増え続け、入会制限をしているところも多くなりました。私にとっては非常に残念なことなのですが、これも時代の流れと割り切った方がいいのでしょうか。できますならば、入会希望者も献体会側も50年前に立ち戻り、「初心忘れるべからず」になってほしいものです。
(会長 辻井純弘)

 

 

 

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