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山梨医科大学における献体17年

 

山梨医科大学

 

山梨医科大学は、昭和53年に開学、昭和54年には最初の建物である講義実習棟が建設され、昭和55年に第1期生が入学し、1期生の解剖学の授業は昭和57年に開始した。医学部開設にあたっての解剖体確保のために、昭和54年まだ解剖学教室開講前、初代副学長岩井正二、第一解剖予定教授の小林繁、第二解剖予定教授熱海佐保子の3名で、山梨県の県政モニターの会の方達と献体についての話し合いの会が持たれたのが、この地での献体の運動の最初である。大学開校前にも拘わらず、講義室位の部屋に空席もなく多数の方々が出席され、活発な意見交換が行われ、また私が最も印象に残っているのは、出席された方々の温かい気持ちであり、献体により山梨県の医療を少しでも向上させられればという熱意であった。
この会の方達が中心になりその後もずっと献体に関する地方新聞への投稿など草の根運動を展開し、県民の献体に対する啓蒙に大きく貢献して下さった。医学部開設当初の最も苦しい時期に、学生達はまずまずの解剖学の教育を受けることができたこと、また年々献体登録の数も順調に増えてきたことなど、一重にこの方達はじめ県民の方々の熱い思いのたまものと言ってよいと思う。県政モニターの会で昭和54年にお会いし親しくお話しした中で、早くも1期生、2期生の教育の際に亡くなられた方が何人か居られる。また当時から既に17年になる現在までに、当時活発に啓蒙運動をして下さった多くの方々が亡くなられた。山梨医科大学の現在の発展を支えて下さった方々に深く感謝するとにから冥福を祈りたい。昭和55年までは、本学の受け入れ状況が整わず、信州大学医学部、第二解剖学教室の故志水義房教授の御好意により代わりに受け入れていただき、昭和56年より本学に直接受け入れることになった。故高安久雄初代学長、故竹内正初代副学長による山梨県庁をはじめとする行政機関、山梨県医師会などへの働きかけ、解剖学両教室による県内の施設などへの年1回のキャンペ一ンも行われた。
また全国篤志解剖連合会の故郡司乕雄会長が、未熟な我々に色々と温かく貴重な助言を下さり、手助けをして下さったことに心から感謝して記録に留めたい。以上の温かい御支援により、幸い解剖体の確保は非常に順調に進み、57,58年度には8人に1体、59年度には5人に1体、60年度4期生からは4人に1体となり現在に至っている。本学では献体登録は、特別の会を作らずに大学へ直接登録する形で行ってきたが、献体登録された方々の数も、平成8年5月末で1000人を超えた。
解剖体慰霊祭は、昭和55年に第1回目をまだ一つしかない建物の実習室で行い、以後は毎年10月に献体された方々の御遺族、及び献体登録者、関係施設の方々を招待し、宗教色なしで白菊を献花する形式で行っている。慰霊碑が昭和57年に病院前に建てられ、献体された方々のお名前が銅板に刻まれている。昭和60年より身寄りのない献体者のために、武田信玄の正妻三条婦人の菩台寺である円光院で遺骨をあずかっていただき、供養していただくことになった。円光院は、武田神社の北東の山の中腹の景勝の地にあり、登録者の方々にはとても喜ばれている。
筆をおくにあたり、山梨医科大学の医学教育を支えて下さった、尊い志により献体された方々に心から感謝すると共にその御冥福をお祈りし、また御家族の方達の深い御理解に感謝の意を表します。
(文責 熱海)

 

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