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杏林大学の献体23年

 

杏林大学医学部

 

白菊会杏林大学支部は、昭和47年11月の設設以来、今年で24年目を迎えることとなりました。ここに、本学創立以来の献体の推移を簡単にご紹介したいと思います。
杏林大学は、新設医科大学の魁として昭和45年に創立されました。当然のことながら、当時はその年の実習用遺体にすら事欠く有り様で、篤志献体にいたっては皆無といった状態でした。当時、杏林大学医学部に教授として赴任した佐藤泰司は、松田進勇理事長はじめ多くの関係者の協力のもとに遺体収集に奔走しておりましたが、現実には多くを身元不明の遺体に頼らざるを得ない状況にあったのであります。第一期生の解剖体実習開始までに、という関係者の努カにより、実習用のご遺体は何とか確保されたものの、篤志献体によって実習を行うには遙かに遠い状況でありました。
昭和47年、杏林大学三鷹キャンパス内に医学部基礎棟内に遺体保存設備が完成し、その年の11月には白菊会杏林大学支部が発足致しました。支部の設立に際しては、本部の倉屋利一会長はじめ、同常任理事の初野満氏、日本大学医学部解剖学教室の中山知雄教授ほか多くの方々にご尽力を賜りましたが、佐藤は中山教授に習い、自らを白菊会杏林大学支部第一号会員として登録、その後の献体啓蒙に対する決意を新たにしたわけであります。
設立当初の昭和47年の支部登録会員は9名でありました。この当時は、献体という言葉すら知られておらず,全国においてその啓蒙の必要性が叫ばれてはおりましたが、現実には多くの懸案を抱え、とくに伝統のない新設医大には、ご遺体の収集が最大の課題として目の前にそびえていたわけです。杏林大学においても、1970年代の約10年間に登録された会員は69名、献体された会員は10名に満たないものでした。
こういった状況は、昭和57年の「文部大臣の感謝状の贈呈」の実施、昭和58年の「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」の施行によって打開されることになります。また、落語家の林家彦六師が献体され、献体の啓蒙に大きな役割を果たした事実も見逃せません。本学においても、これらの効果は大きく、昭和59年には年間の会員登録数が50名を越え、昭和61年からは献体された方も年間10名以上に達するようになりました。また、昭和64年には年間登録会員数は100名に達し、支部の設立から18年にして、その活動も軌道にのるところまでたどり着いたわけです。その後は、年間の会員登録数は100名以上を保ち、献体も年間約40名に達するようになりました。現在は、解剖体実習に使わせて頂くご遺体の100%が物故会員であり、支部設立の目的を果たすことが出来るようになったわけです。
一方、杏林大学では、ご遺族のいらっしゃらない方々のご遺骨を本学の納骨堂にお納めし、ご供養しております。納骨堂は、創立以来20年にわたり東京霊園にありましたが、平成3年4月より曹洞宗の白峯山龍源寺(住職:赤塚良孝師)内に移転し、現在に至っております。なお、前納骨堂の時期より、浄土真宗大谷派、三鷹山法専寺(先代住職:伊藤称念師、現住職:伊藤明麿師)の多大なるご協力を賜ったことを記しておきます。
最後に、本学では、ご遺体をお預りしてから1年半以内のご返骨を目指しておりますが、今後の会員数ならびに献体の増加は、予想外の事態を招く可能性もあります。そのため、今後の活動については充分な考慮が必要であることを付記しておきたいと思います。

 

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