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財団法人 日本篤志献体協会の再出発の思い出

 

財団法人 日本篤志献体協会
第二代理事長 三橋 公平

 

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昭和40年代になると医学歯学の学生の解剖遺体の不足から解剖学会に解剖体委員会が設置され遺体入手の隘路解決をめざす研究が行われ、一方大学と献体団体とで篤志解剖全国連合会(以下全連という)が結成され、この会も遺体不足の解決に努力するようになった。献体運動を推進する為には資金が必要であるので、全連の資金援助を目的として昭和48年財団法人日本篤志献体協会が設立された(以下協会)。しかしながら協会は設立の目的を果たさないので昭和56年から三橋を座長とする協会再建委員会が結成され数回会議をもつと共に広く協会の理事・評議員の候補者を募り、昭和57年10月には三橋などの役員、評議員が決定し、役員登記を完了、58年1月には事務所を日本大学歯学部に移転登記をした。当時協会は文部省に決算報告を三年分怠って居たので、医学教育課に行き、協会の改組、再出発を告げたが「貴協会は業務を行わず本来なら解散すべき団体である」として相手にされなかったが、ねばり強く訪れて陳情を続けている間に相談に乗ってくれ、過去の未提出書類を遡って受理してくれた。その後毎年定期に報告した。
次に広報物出版の補助を受けるため日本船舶振興会に行き助成課を訪ね補助を求めたところ、まだ献体運動が衆知するところでないので相手にされなかった。献体運動の詳細な説明を係、課長、理事と何回も繰返し実施し漸く申請書受理に到ったが補助金交付に至らない。調べて貰ったら「貴会は財団法人であるのに基本財産の果実の収入がないので不適格」との結果を得た。そこで理事の三橋から基本金に相当する1,000万円余を無利息・無期限で借入、協会はこの金を国債など高利率で堅実に運用し年間70万円以上の収益が上がってから提出した補助申請書は受理され、以来毎年船舶振興会から700万〜800万円の補助金を受領し、献体広報物(ポスター、感想文集など)を無償で配布出来るようになり、協会本来の目的が遂行できることとなった。
これと共に協会自身も資金募集のために東京都にも補助金の申請を行ったところ当時の續副知事が資金は交付出来ないが協会が事務所がなく大学におかれていては発展しないとして、新宿のヒルトンホテルの地下に事務所として貸付して下さった(これには内野常務理事の努力があった)。
全連と協会との協力について話合も重ね相互協力の約束も出来、三橋は全連の常任理事、副会長となり、両者で献体運動を推進することとなった。全連の郡司会長が逝去されると三橋が会長代理ついで会長として全連運営に当り、郡司会長の慰霊式が昭和大学医学部で盛大に行われた折は三橋が弔詞を捧げ式の運営に協力した。
協会は再建から15年を経過、基金も余力をもつに到ったので本年3月をもって理事長交替が諒承され内野氏が理事長に就任した。本年、協会の予算は献体運動40年を記念して特別予算が組まれ、船舶振興会からも認可され、立派な記念出版物が完成される予定である。

 

 

 

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