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国際連合地域開発センターの25年

 

名古屋市

 

1 国際連合地域開発センターの設立まで
1960年代に入ると、開発途上国では都市部での工業化が始まるとともに、都市への急速な人口流入が起こり、住宅、交通、公害など多くの都市問題が発生した。一方農村地帯では人口、雇用機会の減少が起こり、都市と農村の間で大きな格差が生まれ、国の均衡のとれた発展を阻害する現象が現れてきた。
国際連合はこの問題を重視して、各地域の経済・社会の均衡ある発展と人口・産業の適正配置を図るための地域開発の必要性を唱え、1965年7月に開催された第39回国際連合経済社会理事会で「地域開発に関する調査訓練計画」に関する決議1086Cを採択した。
この決議は事務総長に、加盟国において現在進められている地域開発計画と関連づけて国際連合の「地域開発に関する調査訓練計画」を立案すること、国際連合の調査訓練計画の対象地域として、世界各地の地域開発の中から適切な事例を選定することを求めている。
事務総長はこの決議を受けて、地域開発に関する調査訓練計画の枠組みについての報告書をまとめ、第41回経済社会理事会に提案している。同理事会は事務総長の提案を認め、その進行を促す決議1141を採択した。
国際連合はこの決議に基づいて、1966年10月から地域開発調査訓練計画に関する準備調査団を11カ国の開発計画地域に派遣した。事務総長の報告書に、世界中の地域開発の中で適切な事例の一つとして取り上げられたわが国の中部圏に対しては、翌1967年1月に国連住宅・建築・計画センター顧問のアーネスト・ワイズマンを団長とする調査団が派遣されてきた。
この時代、わが国は総合開発法に基づいて、首都圏、近畿圏の整備計画が成立し、後発の中部圏ではようやく1966年7月に中部圏開発整備法が制定されたところであった。この法律では、関係9県知事や名古屋市長を委員とする中部圏開発整備審議会を置き、整備計画の原案は審議会が提出することとなっていたので、1年後の計画案の提出を控え、地元には地域開発にかける大きな期待があった。
1966年10月、名古屋市において国際連合、日本政府の共催による「国連都市地域開発セミナー」が開かれ、名古屋に国際的なプランナーの養成機関を設置することが決議されていた。このことも国連地域開発調査訓練計画を中部圏に誘致することに対して、大きな推進力となっていた。
ワイズマン調査団は、農山村地域と近代的な都市工業地域との均衡ある開発が計画の中心テーマであり、計画策定のプロセスに地元住民の創意を集約するメカニズムを備えていた中部圏計画が、国際連合の地域開発調査訓練計画の対象にふさわしいとして、国際連合本部に

 

 

 

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