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15人の議員からなる「議会」と町村長によって政治が行なわれるとされていた。市においても議員定数は10〜25人と非常に少ない。合議機関とはされているものの「参与機関」に近い。それを補完するものとして地方レベルの住民投票を重視しているのがうかがえるが、結果としてこれも「議会」軽視になりかねない内容を含んでいたとみなければならない。

当然に、地方や州、そして地方自治体においても、この「段階的憲法改革」路線の揺れは、大きな影響を与えた。地方自治の確立にむけてのこの間の各地での自立的取り組みは、この路線のもとで「振り出し」に戻り、行政府の長の「単独」政治が長期化することとなったことを指摘しておかなければならない。

 

(3)新地方自治法の制定とその過程での論点

93年憲法が制定されると、それにもとづく新たな地方自治法の制定が課題となる。地方自治問題は、連邦と構成主体の共同管轄事項され、連邦では地方自治の組織の一般原則を定め、構成主体でその地方自治法を具体化することになり、95年8月に「地方自治の組織の一般原則について」のロシア連邦の法律が制定されたのである。便宜上、この連邦法を新地方自治法または95年法と呼ぶことにする。この法律の制定過程については、紙数の制約もあるので、別の機会に検討したいと思う(23)。

さて、この95年法の制定過程で主として議論の争点となった点をチホミーロフによって多少とも整理しておきたい。まず、地方自治を住民の自己組織、自主活動、自己責任として捉え、そのうえで地方自治の形成を住民居住区と地区にするのか、それとも市町村にするのか、地区をどう考えるべきかが争点となった。地方自治の実現には財政的基盤が大事だという立場から、財産の自主的な占有、使用、処分、財産の範囲の拡大、地方予算の自主的編成と補助金の必要性、地方財政の最低限の社会的基準の確保、国の機関委任事務とその財源の保障、地方自治体と企業の協力などが集中して議論された。さらに、市民集会、レファレンダムといった住民の直接的な意思表示の形態が強調され、選挙制度や首長公選についても多様な対応がなされた(24)。たとえば、モスクワ市の地区に選挙による「議会」を置くか、あるいは居住区の「区長会」または「団体代表者会議」のようなものにするのか、といったことも論点のひとっであった(後述)。全体として、地方自治の主体が、相対的に狭い住民集団とされたことと関連して、直接民主主義型の住民集会(スホート)や住民投票という制度が高い位置づけをえているように一思われる。これらは、法制上、構成主体の地方自治法において具体化される部分が多く、全体像をつかむことは困難である。なお、大統領、政府、議会、議員集団のあいだでやり取りされた95年地方自治法の制定過程での議論については、松里論文もふれているので、そちらを参照願いたい。新地方

 

 

 

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