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う自治体の単位は、地区、市、市内の地区、町および村であった。したがって、当初から地方と州は「自治体」ではない。

この法律によれば、地方自治体では、住民の選挙によってソヴィエトが編成され、そのソヴィエトが議長を選挙する。ソヴィエトは、年2回以上定例会をもち、議長、行政長官または代議員定数の3分の1以上の発議によって臨時会が召集される。各地方自治(体)の行政は、地方行政庁が行ない、この機関は地方ソヴィエトとともに上級の執行・処分機関にも従属する。地方行政庁の長は地方行政長官であるが、5年任期で住民の直接選挙で選ばれる。実質的には自治体の首長にあたるが、行政庁の長という位置づけには、やはりソヴィエトという名称や機関の残存とともに立法と執行の在り方にかかわるソヴィエト的伝統が継承されている感がする。にもかかわらず、地方自治を法認し、その実現への歩みを切り拓いたという意味で、この91年地方自治法制定は高く評価されてよい。

もっとも、この地方ソヴィエトの選挙も地方行政長官の選挙も、実施されないままにこの91年地方自治法は消えていくことになり、任命制の行政長官だけが残ることとなった。

 

(2)91年「地方自治法」のモラトリアムと段階的憲法改革期

さて、ロシアにおけるはじめての地方自治法は、「地方自治」について、「地域自治」とも表現しながら、住民の利益とその歴史的、民族的かつエスニックな特殊性から出発し、地方的意義をゆする問題を自律して自主的に解決するための市民の活動の組織の体系であると定義していた(22)。

すでにふれたように、この91年法は実際には施行されなかったに等しい。しかし、現実には地方行政府の長は上級の地方と州の知事が任命するという臨時措置が取られる一方で、<地域>の共産党の「指導」を解き放たれた地方ソヴィエトが、「全権」機関としてようやくにしてその姿を表わしたため、「上から」与えられた行政府の長とのあいだで緊張が生ずることとなった。皮肉にも、市場経済体制へのラディカルな移行路線は、その強力なイニシャティヴを<地域>においては知事などの行政指導者に期待したため、「ソヴィエト」の活性化がその大きな障壁として現れることにもなったのである。

こうした地方における「ソヴィエト制」の遺制が最終的に廃棄されるのは、93年10月9日の「ロシア連邦における代表権力機関および地方自治機関の改革について」の大統領令によってであった。そこでは、地方、州、市および地区人民代議員ソヴィエトの活動ならびその機能は、当該の地方行政府が遂行するとされ、自治体レベルでの代表機関が廃止されることがうたわれ、94年6月までに新議会選挙をするよう求

 

 

 

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