日本財団 図書館


的にいえば「憲法にもとづく連邦国家」か「条約にもとづく連邦国家」かが問われてきた問題でもある。今日においてすら、この問題はけっして「解決済みの問題」とはなっていない。93年秋の9−10月事件といわれるベールイ・ドーム(当時は議会議事堂、現在は政府庁舎)をめぐっての武力衝突という犠牲のうえに強行的に成立した新憲法にもかかわらず、ロシアの連邦構成主体と連邦中央とのあいだには、後にみるように実にさまざまの難問が山積したままになっていることを指摘せざるをえない(2)。

さて、93年憲法には、ロシア連邦の国家権力機関とロシア連邦の構成主体の国家権力機関のあいだの管轄事項および権限の区分は、この憲法、連邦と構成主体のあいだの管轄事項および権限の区分にかんする連邦条約ならびにその他の条約によるとし、地方自治機関は国家権力機関の体系に含まれない旨が明記されている。そのうえで、地方自治体には、地方的意義を有する諸問題の住民による自主的な解決、公有財産の占有、使用および処分を行なう権限が付与されたのである。連邦構成主体のもとに、国家権力機関からは「自律」した地方自治体があるということになる。わが国ではしばしば89の構成主体をさして「地方自治体」と呼ばれたりもするが、ロシアに独特の連邦制度とそのもとでの地方自治制度を理解するうえでは、誤解を生ずるおそれのある表現である。憲法上も地方自治法上も、地方自治体とされるのは、地区(郡)、市、町、村または郷であって、ほぼわが国の市町村にあたるものとみてよい。こうした地方自治体は、1996年段階で、地区(郡)が1,868、市が1,087(内、共和国・州などの直轄市が625)、市内の地区が325、町が2,022、そして村または郷が24,307となっている。年ごとにこの数は変化しており、地区の再編、市町村合併などもあって、まだ安定的だとはいえない(3)。

周知のように、民主主義的中央集権主義のもとに権力統合主義を標梼していたソビィエト制のもとではこうした地方自治は、理念上その成立を予定されてはいなかった。諸ソビィエトの権力の樹立を宣言した十月革命期の地方権力についての定式化には、地域自治の観念を見いだしえないわけではないが、中央権力にたいする地方の自治という契機は希薄であったといってよい。地方自治とは、住民自治に根をもっ地方自治体(公共団体)という団体の自治において実現される。当然のことながら、「地方自治」を考える場合、国家権カ構造における上下の垂直的な関係とともに、当該地方団体の内部における横の水平的な関係を見ないわけにはいかない。いわゆる団体自治と住民自治の問題である。

本稿は、こうしたロシアの連邦構造とそのもとでの地方自治の問題を、連邦国家における地方制度と地方自治の問題として検討するものである。ロシアの地方自治を論ずる際、連邦構造を抜いて議論することももちろん可能であろう。しかし、連邦中央の国家権力と自治体の関係を見る場合には、先に述べたようなロシアに特殊

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION