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時、「象徴性」磯村対「実務性」鈴木の対決にみえた選挙戦は、まったく異なる位相に転換していった。いわば「実務性」と「象徴性」とが、わかちがたく鈴木の人格の中に統一され、都制成立以来常に都知事に求められた相反する性格のバランスが初めてとれたのである。
 この意味で「生涯知事」と化した4選後の鈴木は、都知事権力のあり方の第4のエポックを画したと言ってよい。ここに鈴木知事は、安井一東都政以来の流れと美濃部都政以来の流れ、それに3期までの鈴木都政の流れのすべてを継承し、都政の「生き字引」として君臨することになった。
 歴代知事のあり方を簡単に振り返ると、以上のようなことになる。そしてプロ中のプロたる鈴木知事の存在自体が、必然的に次期知事の空位化を用意した。つまり生涯を東京都にささげた鈴木は、それゆえに都知事の座を彼以外では務まらぬほど大きく見えにくくしてしまった。あたかも鈴木の前に鈴木なく、鈴木の後に鈴木なしと言うがごとくだ。であれば、誰がなってもせいぜい“筆頭副知事”といった感じではないのか。同様に鈴木が都知事の座を限りなく広げた結果、“首都性”についての議論はされずじまいになってしまった。鈴木が首都移転について、たとえ可能性の議論の文脈においてさえ、都庁内で論議させるとは到底考えられなかったからである。

9 青島知事と“非”の象徴性

 そのような雰囲気の中で、ポスト鈴木の候補者たちはいずれも、著書などを通じて自らの知事像を描き出そうと懸命であった。だがすでに述べたように、都政論議が深まらず、知事の権力も実感できない状況の中では、都知事像もまた次第に倭小化せざるをえなかった。ただ一人その弊を免れたのが青島幸男にほかならなかった。例によって何もしない選挙戦を展開し、積極的に知事イメージを創ることもしなかった。ひたすら非の気分を引き寄せることによって、非の「象徴性」を獲得していく。他の候補が喧伝する「実務性」が空転する中で、非の「象徴性」が息づくことになった。そのことによって、むしろ逆に知事権力の空位化を先どりする効果をもったのである。
 まことに青島は、究極の官僚政治を体現する鈴木の対極にあった。鈴木が自らの後継者と考えた名実ともに後輩にあたる石原信雄(元自治次官、前内閣官房副長官)の大敗に、「思わぬ結果」を連発するゆえんである。しかし「思わぬ結果」のために不本意

 

 

 

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