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での100平方マイル内で大統領が選定する土地に恒久的首府を、それが建設中である1790年から1800年までの暫定首府をフィラデルフィアに定めた「合衆国政府の暫定及び恒久的首府の建設法」(An Act for Establishing the Temporary and Permanent Seat of the Govemment of the United States、いわゆるResidenceBill)ーが、そしてその三週間後に州公債の連邦引受け法が成立したのである。

(4)「更地からの」建設の試みへ

 同年10月には、ワシントン大統領一彼自身は、この「取引」に積極的に関与したわけではないが、ポトマック地域と彼の結びつきは強く、各州による受容に際してはそれが批判の対象にさえなった一による「象徴的な意味」を持った視察旅行がなされ、91年11月22日には、首府建設法により大統領任命職とされた、建設の任にあたる3人の委員(Commissioner)が任命された。いずれも大統領に近い、ダニエル・キャロル[連合会議・連邦議会におけるメアリランド州代表]、トマス・ジョンソン[後に連邦最高裁判事]、デビッド・スチュワート[医師]である。
 次いで、大統領は、首府建設法で予定された地域について、具体的な線引きを行い、同時にその範囲に、メアリランド州側の東支流の南部分と、アレクサンドリアの町を加えるよう議会に提案し了承された。ここにやっと具体的な「建設」が緒についたわけである。建設過程においても、様々な物語はあった…。
 具体的な都市計画にあたったフランス軍少佐ピエール・チャールズ・ランファンの気宇壮大な青写真、公有地売り出し等を巡る委員との対立によるランファンの解任(1792)、第二代大統領ジョン・アダムスの下でのフィラデルフィアからの移転(1800)--建設途上を象徴する、調度品の何も入っていない未完成な官邸イーストルームで召使が洗濯物を干すのを、子どもの手を引いて眺めるアダムズ夫人の絵が残っている--、第三代トマス・ジェファーソンによるD.C.での初の大統領就任式、米英戦争下ヨーク攻撃への報復としてのワシントン焼打ち(1814年8月24日)による打撃--かろうじて残った主要建造物は特許庁ぐらいなもので、それは、当時のD.C.委員ソーントンの文字通り身を呈した行動によった「君らはイギリス人か、それともゴートやヴァンタノレの徒か。ここは特許庁、文明世界すべてが興味を持つアメリカ国民の発明の保管庫だ。もし破壊するというなら、私を撃ってその途を開くがよかろう」--とそれからの復興、南岸部分アレクサンドリアのヴァージニア州への返還(1846)がな

 

 

 

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