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 第2章 ミャンマー国概況

 2-1 自然と歴史

 ミャンマー連邦(UNION OF MYANMAR)は676,577平方キロメートノレの面積の国土を有しており日本の約1.8倍である。東はタイ、ラオス、西はインド、バングラディシュ、北は中国に国境を接し、南はベンガル湾に面している。国境の総延長は5,858Km、海岸線は2,832Kmである。
国土は、北高南低で、北東部にシャン高原、北西部にアラカン山脈があり、南部はイラワジ河流域にデルタ地帯が広がっている。また、国土の約半分は森林に覆われている。
 ミャンマー連邦の略史は以下の通りである。ビルマ族による最初の統一王朝であるパガン王朝が1044年に成立され、その後、16世紀にタウングー王朝、18世紀にコンバウン王朝が成立された。1824年には対英戦争が勃発し、1886年に英領インドに編入される。50数年の英国の統治時代を経て1948年に独立し、1962年にはネ・ウィン国軍最高司令官がクーデターにより革命政権を樹立し、社会主義路線を宣言した。その後、1974年に新憲法が制定され民政移管され「ビルマ連邦社会主義共和国」が誕生し、ネ・ウィンが大統領に就任した。近年では1988年3月に学生・市民によるデモが発生し、9月にクーデターにより国軍が政権を掌握し、ソン・マウン大将が国家法秩序回復評議会(SLORC)議長に就任した。翌年の1989年には国名を「ミャンマー連邦」に変更し、スーチー女史を自宅軟禁した。
 1990年には総選挙が実施されスーチー女史が率いる国民民主連盟が圧勝したが、軍事政権は政権を移譲せず民主化問題が国際的にクローズアップされた。

 

 2-2 社会と経済

 ミャンマー連邦は7つの州と7つの管区行政区に分けられている。多数派のミャンマー族が住む地区は管区、少数民族が多い地区は州となっている。国連の発表した推定によれば、ミャンマーの総人口は1993年現在でおよそ4461万人であり、そのおよそ35%は少数民族である。現在ミャンマーでは小分類すれば134種の民族が存在し、それぞれ固有の言語・文化・生活を有し、自治や独立を要求し根強く反政府運動を展開している。
 ミャンマーにおける政策決定はトップダウンで、各組織・機関の長を中心に運営され、最終的にはSLORCの指示に従う。首相はSLORCの議長が兼ね、国家元首でもある。

 

 ミャンマーでは1988年に誕生したソー・マウン政権により社会主義経済を放棄し経済開放政策を推進している。これまでに実施してきている主な開放政策としては、

 (1)積極的な外貨の導入
 (2)貿易の自由化
 (3)社会主義経済の放棄と国営企業法の制定
 (4)銀行法の整備

などが上げられるが、未だ軌道に乗ったとは言えず、根本的な経済構造の改善には至っていない。尚、現在の為替レートは公定レートで1 US$=6チャット、実勢レートで約160チャットである。

 

 

 

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