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深海微生物の環境適応機構

−高水圧下における遺伝子発現の研究−

 

深海環境プログラム 加藤千明
Chiaki KATO

 

1. はじめに
深海という環境は、高水圧下におかれているという点にその最大の特徴がある。こうした環境下には、高水圧下に適応した、特殊な機能を持つ生物や微生物が生息している。このような生き物遠は、その生命の営みにおいて圧力に依存したシステムを持っているであろう。彼らの生物体を構成しているタンパク質や、各種の代謝等に利用される酵素などは、高圧下においてよく働くようにできていると思われる。そしてそれらのタンパク質や酵素を生合成する、もっとも元となっている遺伝子はその発現制御システムが圧力に依存していると考えられる。ここで、地球上における生命の発祥、進化の歴史をひもといてみると、原初の生命は、当時の強烈な紫外線の届かない、海底、しかも深い海の底で現れたものであると理解されるようになった。そして、深海の熱水鉱床より超好熱性右細菌が分離されるようになり、そうした微生物が、一起源の生命に極めて近いのではないかと議論されるようになってきている。ということは、最初の生命の進化は、高水圧下の環境である深い海の底で始まったということであり、高圧下での遺伝子発現のシステムは生命の極く初期において獲得されたものと理解できる。深海環境は、非常に高い水圧下に置かれた低温の暗黒化界であり、こうした環境では、生命進化のスピードも遅く、原始の生命システムの痕跡が残されているかもしれないと考える人は多い。
このような研究上の重要性にもかかわらず、これまで、深海微生物の環境適応に関する仕事は、生理学的な解析の報告がいくつかなされているのみで、生命維持機構に直接的に関係する、遺伝子、蛋白質レベルでの研究はそれほど行われていなかった。筆者は、こうした生命の口マンと研究の重要性に思いを寄せ、深海微生物の環境適応の機構を解明するため、高水圧下での遺伝子発現の研究をスタートさせた。本稿では、これまでの海洋科学技術センター保有の潜水調査船「しんかい6500」等を利用して得られた深海サンプルより分離された高水圧環境に適応した微生物から、圧力に依存して発現制御される遺伝子の解析及び大気圧下に適応した大腸菌との比較等について述べる。
2. 深海サンプルからの現場環境に適応した微生物の分離とその性質
平成3,4,5年度の「しんかい6500」による潜航調査より得られたサンプルより、種々の現場環境に適応した微生物の分離に成功した。表−1にそれらの微生物のリストを示した。分類学的な検討の結果、これらの深海微年物は、グラム陰性細菌で、プロテオバクテリアガンマサブグループに属する微生物群であることが判明した1.2)。そしてこれらは、同サブグループの中で、高水圧下に適応した微生物群としての独立したサブフランチを形成していることが示唆された(図−1)。本ガンマサブグループには、遺伝学的に最もよく解明されている大腸菌などが含まれ、そうした微生物と比較的近縁であることがわかった。したがって、得られた深海微生物が、大腸菌を利用した遺伝子組み換え実験のDNA供与体として利用しうることが示唆された。そこで、こうした性質を利用して、好圧性細菌DB6705株より、加圧に応答して発現する遺伝子のクローニングを行った3)。得られた遺伝子の全塩基配列を決定し、解析した結果、オペロンを形成しているいくつかの遺伝子が加圧に応答して発現することが示され、こうした遺伝子発現は、転写のレベルで、圧力によりポジティブに制御されていることが明ら

 

 

 

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