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た。従来二本立でであった派遣要綱のもとでは、74年度から78年度にかけての実績をみても、県から市町村が18人、市町村から県が12人にとどまり低調さを免れなかった。そこでは、そもそも派遣要員確保のための定員上の余裕が乏しかったこと、派遣に伴う費用負担、特に小規模市町村側のそれが重かったこと、そして最後に県から市町村に派遣された職員が管理職等のポストに就いたとき予想される軋轢といった、要因が指摘されていた。このため、79年には派遣要綱を一本化し、以下のような骨組みを持つ制度を発足させた。
まず、相互派遣の対象であるが、県から市町村に派遣する職員は、各種行政分野の中堅職員で「行政指導能力」に優れた者、逆に市町村から県に派遣される職員は、市町村が「緊急に事務処理能力の強化を図る必要がある行政分野」において、将来、「当該市町村の中堅職員」となる者とされた。次に、相互派遣の期間については概ね1年とするが、市町村側の事情によって短縮または延長するなど弾力的に対応する。技術職については事務職より長期の派遣を考慮する。さらに、派遣に伴う費用負担については、派遣職員の給与等は「派遣を受け入れた団体の負担」とするものとされた。
この規定は、89年に一部改正され、新たに市町村から県に派遣する職員について実務経験年数(大卒・短大卒の場合3年以上)と絶対年齢(35歳未満)が要件として課されるとともに、県職員の派遣と市町村職員の受け入れについての「申請」の様式が定やられた。「相互」派遣とはいうものの、「申請」は常に市町村側からであり、決定の通知もまた常に知事から出されるものとなっており、派遣の主導権は県の側にあることがこの様式からも窺える。この相互派遣の実態については、96年12月に、県庁人事課でヒアリングと資料収集に当たったが、その成果は以下の通りである。
まず、職員派遣の原則は1対1であり、市町村から県職員派遣の照会があれば、まず必要とされる職種と「クラス」についてのヒアリングを行い、県が決定する。次に過去5年間の実績については、アジア大会(1994年)や広島国体(1996年)というイベントが続いたため、市町村から県に111人(うち技術職員44人)、県から市町村へ67人(技術職員31人)となり、いわば県側が「入超」となっている(表8−3参照)。
もっとも、細かくみていけば、県内86市町村中、59市町村が、過去5年間受け入れの実績がなく、特に芸北、備北地域の郡部に顕著である。逆に広島市の場合、数字の上では「完全対等の相互派遣」となっているが、自治体の規模で広島市に次ぐ福山市と呉市の場合は、やはり県の側の「入超」という数字となっている。

 

 

 

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