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第3章 地方分権改革の動向と大都市制度論の現状

−指定都市制度を中心として−

 

小島聡

 

1. はじめに
大都市制度問題の起源は、周知のように明治の地方自治制度の成立期にまで遡ることができる。戦後も、東京都制は都区制度問題を中心に、他の大都市については指定都市制度の暫定性がもたらした不完全な自立性の問題が論議されてきた。つまり、大都市制度問題は日本の地方自治制度のあゆみとともに、現在完了形として今日まで継続されてきているのである。
ところが、地方分権論議が盛んになり、制度改革の検討が公式に動きだしたのにもかかわらず、大都市制度をあつかった近年の文章の多くが、その書き出しにおいて、「地方分権論の中で大都市制度の問題が欠落している」と述べている。このことにはいくつかの要因があると考えられる。第1に、数十年の年月を経て、不安定さを抱えた安定という状態で、現行の指定都市制度がそれなりに定着していること、第2に、90年代に入って、パイロット自治体の実験、中核市制度、広域連合制度の導入など、「都市制度の多様化」ないしは流動化の様相をみせ、指定都市の位置が相対化されはじめていることが要因として考えられる1)。
また第3に、現在でも12しかない指定都市は全国市長会の中では少数派であり、全国の都市自治体の共通の課題として大都市制度改革が位置づけられ関心が持続していくことは難しいという事情がある2)。このため、大都市制度論は地方分権論に対して独自の流れをつくり出してきたともいえる。したがって、両者を連結するためには新たな論理的仕掛けを必要とすることになる。
さらに直接的な要因もある。現在進行中の分権改革が、多数の主体の思惑が交錯する状況を打開するため現行二層制を前提とし、国から都道府県への分権、都道府県から市町村への分権という二段階分権も念頭においてはじまったため、総数12の指定都市の問題はなおさら埋没せざるをえない。しかも現在のところ、機関委任事務の廃止と新しい事務区分、

 

 

 

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