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2. 日本の環境教育に欠ける社会性と国際感覚

我が国においても、ようやく1987年ごろから、環境教育に関する学会や研究集会が盛んに開かれるようになってきた。これらの多くは現在に至るまで、環境教育の考え方についての統一した流れを作れず、社会を変えるほどの大きな役割を果たせてはいないが、各個人の発表の中には、海外での進んだ環境教育の先進事例を体験し報告した、貴重な研究例も数少ないながら含まれていた。
これら国内にもたらされてきた海外からの情報と、今回の調査成果を合わせると、日本の環境教育に欠けてきたものが浮き彫りになってくる。

 

(1) 社会性の欠如
まず、我が国の環境教育に欠けてきた最大の要素は、社会性であるといえよう。2章で述べた学校現場における環境教育のアンケート調査結果においても、この傾向は大変強く現れている。
環境問題は、そもそも社会問題であり、20世紀においては経済優先の競争と浪費型の社会構造が問題を激化・深刻化させた経緯がある。この社会問題を解決し、個人と社会を改革するための具体的ステップとして、現代の環境教育は位置づけられている。
それにも関わらず、我が国では、知識を啓蒙する形の教育活動が全体としてはまだ大部分を占めている。このままでは、「知っているけど動かない」と言われる日本人の環境問題に対する国際的評判を打破し、広範な人材育成を日本においても実現していくには、まだ道のりが遠いといえる。
個人の社会的活動能力の向上のためには、組織開発トレーニング、人間関係トレーニングや、企業・行政・NGOなど立場の異なった組織での環境への対処方法のシミュレーションゲームなど、社会学的なトレーニングプログラムの導入が有効である。また、アメリカなどの事例を見ると、実際に各年齢に合わせ、市民としての行動を経験する中で、社会性を身につけるプログラムが実践されている。
我が国の学校においては、これら「社会性」のトレーニングを環境教育で導入することは、現在ではまだ一般的ではない。この社会分野のプログラムが、現在取り上げられている地球環境・ゴミ問題・リサイクルなど既存のプログラムと同様の比重で取り上げられるようにならなければ、日本の環境教育において、知識偏重の教育から行動人材の育成への転換を図ることは困難であり、早期の改善が望まれる。

 

(2) 国際感覚の欠如
環境問題の背景としては、南側諸国の資源やエネルギーを北側先進国が大量に消費して、経済優先の浪費型社会を推し進めてきたことに、一つの大きな原因がある。そして国際社

 

 

 

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