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大正14年(42歳)武道の新境涯を開く(開眼す)。本格的に「合気の道」と呼称して主唱する。東京或いは九州地方に出,子弟の訓育にあたる。この年の前後は槍の稽古に専心す。識者の招きで上京し青山御所などで講習会を開く。
昭和2年(44歳)一家を挙げて上京す。芝内金猿町の借家を借り道場とす。
昭和3年(45歳)内海勝二男爵の借家に移転。八畳二問を抜いて道場とす。
昭和4年(46歳)芝高輪車町の松下氏の借家を借り,八畳二間を抜いて道場とす。当時は合気柔術と呼称す。海軍大学校の武道教授となる。
昭和5年(47歳)専門道場建設の準備として目白の下落合に借家を借り移転,当時この道場に講道館の嘉納師範が来訪される。
昭和6年(48歳)現在の新宿区若松町に道場を建設す。皇武館と称す。これより各方面において大いに活躍す。
昭和15年(57歳)皇武館から寄付行為の認可により財団法人皇式会とす。武道振興委員会臨時委員となる。この年の前後から合気武道と呼称す。
昭和16年(58歳)茨城県岩間町に野外道場を設置す。
昭和17年(59歳)合気武道より合気道と呼称す。大いに「道」の発展をはかる。
昭和18年(60歳)大日本武徳会内に合気道部創設さる。茨城県岩間町に合気神社を建立。
昭和23年(65歳)財団法人皇武館を改組再編成して,財団法人合気会とす。
昭和27年(69歳)この年の頃から東京,関西の各所で斯道の普及を大いにはかる。
昭和35年(77歳)紫綬褒章を合気道創始の功績を以って日本国政府より贈られる(11月3日)
昭和36年(78歳)ハワイ合気会より招かれて渡布す。
昭和39年(81歳)勲四等旭日小綬章を合気道創始の功績を以って日本国政府より贈られる。
昭和41年(83歳)ブラジル国のカトリック教アポストリカ・オルトドシア教会大司教から同教会最高名誉称号のカトリック・アポストリカ・オルトドシア教伯爵号が贈られる。
昭和44年(86歳)合気道を創始し,武道精神を通し,現代スポーツの発展と社会の進歩に寄与した功績を以って和歌山県田辺市名誉市民の称号を贈られる。同じく岩間町名誉町民。
昭和44年(86歳)4月26日午前5時,逝去す。この日,正五位勲三等瑞宝章を生前の合気道創始の功績と,その普及の功により日本政府より贈られる。※植芝家菩提寺は,和歌山県田辺市稲城町の「真言宗御堂派正南面山蘇悉地院高山密寺」(俗に高山寺)である。植芝盛平開租の生前の名は,「盛平」の他,別名「守高」「常盛」「晴眼」とも称した。戒名は「合気院盛式円融大道士」。

 

 

 

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