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 そしてやっとその壊された家から脱出をしまして、学校や公民館や体育館に避難しました。これが二番目のエヴァキュエーション期、避難期です。
 この避難所で多くの方々が数週間から数カ月間生活をなさいました。私達も外から来る方々の救援のお手伝いをしていました。炊き出しをするグループが来まして、例えば漁師さんのグループが宮津という日本海の方から来まして、お魚をたくさん持って来ました。新鮮な魚をたくさん焼いてご飯を炊いてくれる。「炊き出しがありますよ」とアナウンスをします。でも耳の不自由な方はそのアナウンスが聞こえない、みんなが立って外へ行く「何故だろう?何故だろう?」分からない、いつも情報が分からないために炊き出しの時も一番最後にくっつくのです。そして耳の不自由な方々が、家族にどうやって連絡しようか、あるいは自分はここにいるけれどもこれからどういう援助を受ければいいのか、情報がなかなか入らないのです。
 震災後避難所には電気が来まして、テレビがつきましてテレビやラジオで情報を手に入れたのですけれども、耳の不自由な方が最後まで情報が分からないのです。ある震災を体験した聴覚障害の方がこう言っています。22年間住んでいたそこでは信頼関係のある人が何人かいた、長い間時間をかけてつくった信頼関係だったのです。その方々が震災のときに白分を助けてくれたし、自分を避難所へ連れて行ってくれた。そしてさらに一緒に避難所で生活しながら義援金の受け取りだとか、あるいは仮設住宅の申し込みを手伝ってくれたので助かったと言っていました。ですから隣近所に長い年月をかけてよい人間関係を持っていた人が、かろうじて助かっているということが言われています。
 救援期が仮設住宅に入る前の状況ですけれども、避難所においても聴覚障害の方が十分に情報がないために苦労しまして、さらに今は仮設住宅のほうに多くの方々が移りました。この仮設住宅が、四番目のリハビリテーション期と呼んでいます。つまり市民として社会復帰する社会リハビリテーションです。これは仮の家です。そこにおられる方々は、また自分がまちに戻って恒久住宅で生活をするまでの場なのです。そこがずっと一生住む所ではないのです。今はだんだん行政の方々も市営住宅だとか、県営住宅を造って、どんどん被災した方々をそういう公営住宅へ移ってもらいつつ  あります。
 私は今、2カ所の仮設住宅でボランテイアの援助をしております。いろいろな経験をしております。
 最初に仮設住宅を開設した時のことですけれども、誰かが間違えて火災報知器を押してしまいました。そして、非常ベルが鳴ったのでみんな避難したのです。仮設住宅は二つの種類があります。一つは、一般の仮設住宅、もう一つは障害者と65歳以上で体の不自由な人達の仮設住宅、地域型仮設と言っていますけれども、二つに分けてしまいました。地域型仮設には、50人の被災者に対して1人のライフサポートワーカーという方が派遣されました。1人の方がその方々の安否だとか、何かのお世話をするのです。そのお世話をする方がふと見ると、耳の不自由な方が外に出ていないのです。びっくりしまして戸をたたきました。ドアに鍵がかかっている、出て来ないのです。非常ベルの音もライフサポートワーカーが戸をノックする晋も聞こえないのです。その方は今回の火災報知器は間違いでよかった、本当だったらこの人は焼け死んでいる。そしてそこの人達と話し合いをしました。「もし本当に火事が起きたら、火災  報知器が鳴ってもあなたは耳が聞こえないから分からない、ドアに鍵がかかっているから、あなたは焼け死ぬからドアに鍵をかけるのはよしなさい」。その方はもう夜寝るときも昼間も鍵をかけないのです。もし火事が起きたら大変です。でもその方は夜も鍵を閉めないで寝るので、いつも不安なのです。ストレスが高いのです。
 本当に耳の不自由な方は苦労しております。私たちは光の報知器をつけてくださるようにお願いしました。1年前にお願いしました。いまだに取り付けに来ません。これは宝塚市でなく他の市の話です。自治会の会長からもお願いしました。まだついていないのです。本当に聞こえの保障とい

 

 

 

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