ずいひつ

私と船

混乗船
とうきょうぶりっじ
大須賀祥浩
安岡孝男画
次に私は“とうきょうぶりっじ”という東南アジア航路の中型コンテナ船に乗船することになった。乗組員は日本人が九人、フィリピン人が十三人。いわゆる“丸シップ混乗船”である。
東京の大井コンテナバースで乗船したのだが、弦門に着くなり、フィリピン人の甲板手が飛び出してきた。
「新任ノ一等航海士デスネ、荷物ヲオ運ビシマス」
もちろん英語で、サー付けである。これには、いささか面食らった。
彼はドムドムという名前で、私と同じ当直に入るのだという。これ以後、彼にはフィリピン人のことについて、いろいろと教わることになった。
「コノ船ハ最高デス。ミンナ、ホントウニ喜ンデ働イテイマス」
フィリピンのマニラヘも寄港するため、本船への乗船希望者は、引きも切らないのだという。その船に乗船できたのだから、彼らが張り切るのは当然のことだった。
高齢化の波が押し寄せる日本人船員と違って、フィリピン人船員はみな若い。首席甲板手のドムドムにしてもまだ三十そこそこで、イキの良さはピカ一だった。
「どうして船に乗ったの?」
「給料ガ高イカラ。一流ノ電気技師ダッテコレダケノ給料ハ貰エマセン」

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日本人から見れば目茶苦茶に安い賃金なのだが、彼らにしてみれば、陸上の仕事の数倍の収入なのだ。為替レートの魔術とはいえ、高収入に魅せられて、優秀な人材も数多く流れ込んでいたのである。
「へえー。じゃあ、いい家に住んでいるんだろうね」
「エエ、新シク建テタバカリデ。家内ト子供ガニ人、ソシテ、メイドモ二人住マワセテイマス」
「メイド?」
驚いた私の顔を見て、ドムドムはにっこりと頷いた。
「エエ、十ドルモ払エバ雇エマスヨ」
「一日に?」「イエイエ、月ニデス。ソノ分、食事ヲサセテイマスカラネ。彼女タチハ、大喜ビデ働イテイマスヨ」
なんだか、こちらの金銭感覚までおかしくなりそうだが、フィリピン人船員が故郷では大金持ちであるという話は、どうやら本当らしかった。
「それなら、みんな船乗りになりたがるだろう?」
「ソノ通リデス。デモ、入学金ヤ授業料ガ高スギナ、ナカナカ海員学校へ入レナインデス」
「じゃあ、金持ちの子供しか船乗りになれないのか」
どこかの国と違って、フィリピンでは、船乗りは高級な職業らしいのだ。
金持ちは子供に教育をほどこし、船乗りや医者にさせ、さらに財を築かせる。そして、その子はまた船乗りや医者になり、金持ちの家系を作り上げていくのだろう。

 

 

 

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