ずいひつ

私と船(35)

妻の海外便乗
大須賀祥浩
岡安孝男画
次に私は、自動車専用船“せんちゅりーはいうえい5”に乗船することになった。豊橋を積み地とし、北米の西岸や東岸へ向かうのが通常の航路だった。
丁度そのころ、次のような文書が社内周知された。
“配偶者に限り、海外まで便乗することを許可する”
それまでも、国内間の航海では、便乗が認められていたのだが、その範囲を海外にまで広げようというのである。日本の海運界では、まだ例をみない試みであった。
“家庭を離れる疎外感を少しでも緩和し、同時に、船内での生活を家族に理解してもらう”というのが制度の趣旨で、船内には歓迎する声が多かった。
もっとも、どんな船でもよい、という訳ではなく“一カ月以内に日本へ帰港する日本籍船”という条件が付けられていた。そして、わが“せんちゅりーはいうえい5”は、その条件をぴたりと満たしていたのである。
「おい、アメリカヘ連れていってやるぞ」
「えっ、こんどの休暇に?」
「いや、本船で」
「???」
電話越しの私の言葉を、家内はなかなか理解できなかった。まさか、船でアメリカヘ行くなんて……。乗船したら、日本へ帰って来るまで会えないもの、と思い込んでいただけに、海外便乗の話にビックリするのは当然のことだった。
「会社の担当者へ電話して、早く手続きを済ませるんだ。ビザを取ったり、保険に入ったり、準備がけっこう忙しいぞ」
「船で海外へ行くなんて、思ってもみなかったわ。楽しみね」
電話の声も急に明るくなり、海外便乗の計画は、この日から順調に滑り出した。
後で家内に聞くと、いろいろな手続きの中で、もっとも面倒だったのがビザの取得だったらしい。アメリカ大使館へ行ってビザの交付を申請するのだが、なかなか話が通じないのだという。
相手は年配のアメリカ人職員。日本語はぺらぺらなのだが“海外便乗”ということ自体が理解できないのである。
結局、会社から発行してもらった乗船証明書を見せて、ようやくビザを取得することができた。異例のケースだけに、アメリカ大使館としても、かなり驚いたらしい。
*****
さて、いよいよ便乗開始である。
豊橋での積み荷を終えたわが“せんちゅりーはいうえい5”は、伊良湖水道を抜け太平洋へ乗り出した。その途端、本船は荒波に揉まれ始めた。
「こりゃあ、いかんなあ。しばらく時化が続くぞ」
天気図を見ると、本船は発達した低気圧と一緒に航走ることになる。船酔いを恐れ

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