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私は、七五フィートのヨットをこしらえまして、それに乗って西伊豆に行くことにしました。西伊豆といえば、風景がすばらしくきれいです。その西伊豆に戸田というところがございます。
そこは、明治の初期に近くでロシアの船が遭難したとき、戸田の漁師がしけの中を船を漕ぎだし、多くのロシア人を助けたのです。ロシア人は非常に喜んで地元の人に造船技術を教えました。それで戸田は造船が盛んになりました。
その戸田の港は、入り口は狭いのですが、中は広々としたすばらしい湾です。深さが八十メートルぐらいございます。日本の潜航艇がここへ隠れたという話があります。
戸田に入りました。右側にちょうど三保の松原みたいなすばらしい松林が見えます。その後には、富士山が今倒れるのではないかと思うように「夏の富士倒れんばかり……」という私の下手な俳句がございますが、ほんとに倒れてくるのじゃないかと思うくらい富士山が近いのです。
それを見ながら錨を降ろし、私は手持ちのウイスキーを飲んでおりましたら、下から声が聞こえてきました。
「森繁さん、森繁さん。そこへ行ってもいいですか」
「ああ、来たかったらいらっしゃい。船も見てください」
上がってきたのは、二十四、五歳の青年です。戸田と沼津を通う船の船長をしているそうです。一杯差し上げると、その青年が「森繁さん、妙な質問ですが、あなたは神様があると思いますか」
「何ですか」
「神様は存在すると思いますか」
「ああ神様ね。うちにも神棚はあるのですが、榊なんかは乾燥してしまってね。あんまりお参りしないのです。あなたはどうなの」
「僕は絶対神の存在を認めます」
「ほう、お若いのに珍しい。どういうことですか」
「それは私の経験から来たものです。それを話しでいいですか」
「ああ、ぜひ話してください」
「簡単な話ですが、マリアナ台風の話はご存じですか」
「聞いたことはありますが……」
「この台風でたくさんの漁船が遭難し、戸田の船も三隻沈没しました。私も乗っておりました。そのころ私は十六歳だったんです」
マリアナ台風で遭難
青年は、マリアナ台風によるカツオ漁船の遭難の模様を話し出しました。
マリアナ諸島は、太平洋のど真ん中の赤道に近いところにあります。そこに日本のカツオ漁船が集団で、お互いに連絡をとりながら操業していたのです。そのうち台風が来るとの知らせがあり、各船は避難場所を捜しはじめました。
しばらく経つと“ただ今の気象通報は間違いでした。台風はそこを通りません。との連絡が入り、みんなほっとして“よかったな”と言いながら働いておりました。
するとまた“台風の進路は、相変わらずそちらへ向かっております”と無線電信が入りました。
「ええ、なんじゃ、いい加減なことばかり言うな。今度は通るんだってよ」
漁を打ち切り、あわてて荒天準備には入ったのです。
台風がきました。山のような波が船に襲いかかります。僚船が転覆して、たくさんの人が泳いています。それを助けようとした船もひっくり返るということで、大騒ぎになりました。
九死に一生を得る
そのとき突然、私は荒海に投げ出されました。一生懸命泳いているうちに、一五から二〇メートルの波に翻弄され、酔ってしまいました。船乗りが酔うというのはおかしいのですが、海の中で吐くのです。吐くものがなくなると、海水を飲んでそれを吐く有様です。運よく大きな枕ぐらいの木切れを見付け、それを浮き代わりにして浮いでい

 

 

 

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