私と船

初めての陸上勤務

大須賀祥浩
岡安孝男画

 

昭和六十三年の九月から、私は東京本社で陸上勤務をすることになった。
若いつもりでいたが、入社してから十二年が過ぎ、いつの間にか三十五歳になっていた。普通なら中堅社員として、バリバリ仕事をこなしている年齢なのだが、私の場合は初めてのサラリーマン生活である。社宅は横浜市の緑区にあり、通勤時間は一時間強……。右も左も判らないといった感じで新たな生活が始まった。
私が配属されたのは、海務部海務課といって、海上部門の技術的な事項を処理する部署だった。周囲は、ほとんどが陸上勤務者で顔見知りも多かった。その意味では、職場に溶け込むのは早かったように思う。
「なんだ、ネクタイもあまり持っていないのか。よし、新橋の駅前へ買いにいこう」
同僚になった先輩のM氏が、昼休みに私を誘ってくれた。
陸上勤務のために、背広やネクタイは買い揃えていたのだが、その数は絶対的に不足していた。入社時に買ったものは柄やデザインが古すぎて使えないのだ。恥ずかしい話だが、背広やネクタイに“はやりすたり”があることを、私はその時に初めて知ったのである。

 

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新橋はオフィス街だけあって、駅前にはサラリーマン向けのディスカウントショップが並んでいる。ネクタイにもピンからキリまでがあるが、とりえあずはキリのほうを五本ばかり買い求め、当座の用に役立てることにした。
「背広や靴もたくさんあったほうがいい。なにせ、最初は物いりだからな」
M氏の勧めに従って、その週末は品揃えに奔走した。慣れないサラリーマン生活はそんなふうにして始まったのである。
陸上勤務を始めた私を驚かせたのは、朝の殺人的な満員電車でも、仕事の忙しさでもなかった。それは、移り変わる季節の眺め……。夏の終わりと静かな秋の訪れに、私は深い溜め息をつくばかりだった。
思えば、入社してからずっと船乗り稼業を続けていた私は、四季の変化とは無縁だった。灼熱のカリブ海で正月を迎えたり、夏の盛りのベーリング海にいたりと、季節感など持ちようがなかったのである。もちろん、休暇中には船を降りている訳だが、それも一年に二カ月ほどの期間なので、季節の流れを感じるには短すぎた。
"これが、陸上での生活なんだ……"
色づき始めた街路樹を、昼休みにオフィスの窓から見下ろすのが私は好きだった。晴れた日には、遠くに富士山も望め、やがてその頂に初雪が積もり始めた。気が付けば厳しい名となり、やがて春が訪れた。桜が街を彩り、葉桜となり、梅雨が訪れ、夏を迎える準備が始まる……。そして夏が終わる頃には、最初の一年が過ぎ去ろうとしていた。
「なんだか、なくしていたものを取り戻したような気がするよ」
そんな話を私がすると、弁護士をしている高校時代の友人がおかしそうに笑った。

 

 

 

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