この人と

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「阪神・淡路大震災から三カ月後の昨年四月に着任したときは、自分に務まるかと不安でいっぱいでした。着任早々に復興関係の委員会に出席して、緊張しました。波打つ岸壁、海にせり出した護岸、痛んだ庁舎を間近に見て、家族も含め被災しながら防災機関職員として懸命に救助・救援に尽くした多くの海上保安官に頭が下がりました」と大変だった着任当時を振り返る。
「港湾施設の復旧復興は、神戸を中心に順調に進み、第三港湾建設局等工事発注者側の尽力で、航行安全のための情報センターの設置が成り、また海水を利用した陸域の合同消火体制固めなど成果が上がりました。半面、工事に携わる作業船や交通艇等の海難が増加し、また大震災絡みの廃棄物不法投棄事犯を相次いで摘発しました。現場での指導や監視取り締まりには、まだまだ気が抜けません」と復興は順調でも新たな問題に当分緊張が続くとの現状を語る。
「昨年十一月、大阪で開かれた“APEC大阪会議”の際は、昨今のわが国の治安に対する“安全神話”が揺らいでいるもとで、陸、海とも厳戒体制を敷きました。関西空港周辺海域の航行自粛を地元の漁業者、マリンレジャー関係者に初めて要請しましたが、約一週間の航行自粛が極めて整然と守られました。おかげでAPECも無事に終わり、海事、漁業関係者に感謝しています」と震災関係以外の苦労談にもふれる。
さらに「深刻な社会問題化している銃器・薬物に対応した水際摘発体制強化の必要性から、海上保安庁、警察、税関の合同摘発訓練を十二月に大阪湾で展開しました。このように、航行安全、環境保全、海上警備等今日の警備救難業務を的確に実施していくためには、お互いの情報交換、海上保安庁への情報提供も含め、海にかかわる方々の海上保安庁に対する幅広い協力を得ること、また取り締まり等関係機関が真に連携、協力して事に当たることが必要と痛感しています」と海上保安業務の遂行に向けた情熱と抱負で結ぶ。
〔略歴〕宮崎県出身、昭和21年生まれ、44年海上保安大学校卒、平成5年4月名瀬海上保安部長、7年4月から現職

 

 

 

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