気になる船名あれこれ

安田榮治
気仙沼海運支局船舶検査長
〔日本百名山船名〕
今回も深田久弥著”日本百名山”から、主に山岳名の由来を抜粋しながら同じ船名を紹介したい。
*飯豊山(いいで)
その名の由来として、温泉が多いので湯出(ゆで)が訛ったとか、イイトヨという鳥の名からきたとか、山容の麗しく豊かに飯を盛るに似ているから名付けられたなどの説を紹介している。新潟、山形、福島三県にまたがる飯豊連峰の一峰で高さは二、一〇五片ある。最高峰は大日岳(二、二一八メートル)。
この名を冠した船は二隻あった。平成六年四月進水の飯豊丸(一九二トン)は、福島汽船所有の曳船で福島県相馬船著。金川造船が建造し主役は新潟鉄工製三、六〇〇馬力。もう一隻の飯豊丸(三五〇総トン)は、所有社名も飯豊水産という。神戸船籍の冷凍運搬船。主な積み荷は魚餌である。兵庫県養殖水産組合が定期用船している。前名はちぬや丸・SETO REEFFER
*吾妻山(あずま)
東吾妻山、中吾妻山、西吾妻山、一切経山、東大嶺、西大嶺などの吾妻連峰をいう。最高峰は西吾妻山の一一〇三五対。延喜式の神名帳では、あづま(東)の国の山に発するのでその名があると記す。前著では一切経山の北にある家の形をした家形山から東屋(あずまや)という名が生じ、それが変じて吾妻山になったと推察されている。
吾妻山は三隻あるが、うち一隻は前述の飯豊丸をもつ福島汽船の曳船吾妻丸(一九二総トン)である。飯豊丸と同型だが進水は一年早くいわき船籍になっている。
福島県の新造漁業取締り船は、あづま(五〇総トンアルミ製)という。総理府の所有船にも、あづま(二八総トン)があった。また福島県の檜原湖には平成四年進水の遊覧船あづま丸(九六総トン)も浮かんでいる。
*燧岳(ひうち)
尾瀬の北に聳える二、三四六メートルのこの山は、頂上が二峰に分かれていてその一方(マナイタグラ)の「東北面に鍛冶鋏の形をした残雪が現れるから」この名があるという。鍛冶は火打(燧)である。
ひらがな船名でひうち丸(七二総トン)というのが新居浜船籍で一隻あった。新潟県にも百名山の火打山(二、四六二メートル)がある。どちらの”火打ち”か。
*苗場山(なえば)
「山の名は頂上の広い沮洳地が田形をして苗の如きものが生じているから」と著者は語っている。新潟県の水産調査船は苗場(三八総トン)と名付けられている。
*妙高山(みょうこう)
古くから越の中山と呼ばれたこの山は、中山が名香山となり、音読して名香山になって、さらに字を飾って妙高山になったと著者はいう。
妙高丸は(四九総トン)は上越船籍で、相村建設がもっている。また、みょうこう(四五経トン)は平成七年に進水した東京税関新潟税関支署所属の監視船。
*男体山(なんたい)
中禅寺湖と「助け合って秀麗雄大な景色を形作るが」その名の謂われは「同じ山続きの女峰山と相対して付けられた」と著者は想像している。
三回目の“男が付く船名“でも紹介をした中禅寺湖機船の男体丸(一〇回総トン一と第二男体丸(一一五総トン)はともに木船で昭和三十四年と三十九年の進水。
*奥白根山(おくしらね)
二、五七八メートルの日光白根のこと。草津白根山(二、一五〇メートル)とは別。どっちの白根か聞いていないが、昭和五十年進水の起重機船兼揚錨船に白根丸(一〇七総トン)がいる。船主はトマック。
*赤城山(あかぎ)
赤城の子守歌でも有名なこの山は、榛名山、妙義山とならぶ上毛三山の一つ。一、八二八メートル。
巡視船あかぎ(一八八総トン)は昭和五十五年から六十三年にかけて建造された特一三二〇型のフラッグシップで那珂湊に配属されている。姉妹船に、つくば・こんごう・かつらぎ・ひろみね・しづき・

 

 

 

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