つれづれに

焼岳展望台へ

山本繁夫
安岡孝男画
八月中旬の早朝、私は松本電鉄の電車を終点の新島々訳で降り、上高地行きのバスに乗った。登山者が多く、何台かのバスは満員の状況である。バスは沢渡を通過して釜トンネルを抜けると、前方に噴煙をあげている屍岳が見えてくる。濃緑の樹林と泥流の押し出しの茶褐色がまじりあって、さわやかな夏の朝の印象として視野にとびこんでくる。
焼岳は、日本アルプスの中で唯一の火山である。大正四年(一九一五年)六月六日焼岳は地震と共に爆発し、頂上旧火口から幅三百三十メートル、深さ二メートルあまりの泥流を押しだして、梓川をせきとめて大正池が出来た。池の中に枯死した木々が立って、水面に穂高岳や焼岳が影を落とすという見事な景観が現れた。
終点の上高地の広場の停留所から二十分ほど歩いて、小梨平キャンプ場に着いて、梓川の清流のほとりにテントを張った。テントサイトからは明神岳、吊尾根、奥穂高岳、天狗岳、間ノ岳、西穂高岳へ続く山稜が、大きなパノラマを展開している。
私がテントを張った近くの落葉松林の中に堺市在住のTさんが三日ほど前から来て幕営している。彼は大阪府と奈良県の境にある金剛山で、よく幕営する私たち三人の仲間の一人である。毎年夏になると、小梨平にきて一週間ほど過ごしている。昨年の夏も一緒に徳本峠まで同行したものである。

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私が到着した翌日、Tさんと一緒に焼岳へ登ることにした。朝食後、キャンプサイトを出て歩きはじめた。河童橋の周辺は朝から散策している人が多くにぎやかである。
上高地のバス停留所付近にある食堂や売店は午前六時頃から営業している。売店で昼食の弁当をかったあと、梓川の左岸に沿った道をいく、今朝はよく晴れており視程も良く、明神岳から西穂高岳はへかけての山並みの展望も見事である。
梓川は槍ケ岳から流れ出し、犀川から信濃川となって日本海に注いでいる。梓川の護岸の周辺には、ケショウヤナギ、オオバヤナギ、オノエヤナギなどの木々が見える。梓川の畔の道の傍らでスケッチをしている人もいる。
田代橋を渡って少し行くと分岐点があり、道は三つにわかれている。真っ直ぐ行くと西穂高岳へ、右に行くとウェストンの碑のある方向であり、焼岳へ向かう左方への道は広い。浄化処理施設を右に見て行くと、間もなく登山案内板のある焼岳登山口に着き登山道へ入る。登りはじめてしばらくゆるやかな道が続く。道の両側はクマザサに覆われている。
林の中にはぶな林がひろがっており、下草には、ホタルブクロ、ツリガネニンジン、アザミ、サワギクなどの花が見える。少しづつ登り坂になった道を、登山口より三十分ほど行くと左側に、えぐれて赤茶色い肌をむき出しになっているのが見える。今更に火山の爆発の生々しさを実感させられる。少し行くと湯沢という水場があり休憩する。
私たちが休んでいる間に、家族づれらし

 

 

 

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