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しろ家族政策の発展をより早める要因になったといえる。1930年代半ばから、妊婦ならびに小児保健センターの設置、無料出産や出産手当金の改良、新家庭貸付金、住宅政策、多子家庭への課税控除など、有子家庭の生活条件を向上させる近代的な家族政策が実施されていった。
アルバ・ミュルダールは「家族と国家」(1944)のなかで、当時の専業主婦家庭の子ども数(平均2.92)が、母親がパートタイム就労する家庭の子ども数(平均2.75)とそれほど変わらないことを指摘している。そして、女性を家庭に留めるだけでは出生率が高くならないこと、それよりも女性が就業と子育てが両立できることの重要性を、女性の人間的発展という観点から主張している。この考え方は、その後スウェーデン家族政策の原点をなすものになったといえる。
今日にいたってなおかつ、社会民主党が人口問題の危機について当時どのような見解をもっていたのか不明であると指摘する研究者もいる(Wennemo,1996)。人口の減少が実際に危機としてとらえられたのか、それとも一連の社会改革を行なうにあたって広範囲な同意をえるための道具として使われたのか。いずれにしても、スウェーデンの家族政策が一度として人口増加のためだけの手段としてありえなかったことは断言できるであろう。多子家庭のみを目標にする家族政策を発展させなかったことは、スウェーデンがヨーロッパの多くの国々と比較するとき根本的に異なるところである(Wennemo,1996)。

 

3.4 男女平等

その後徐々にスウェーデン家族政策の中心的課題となっていったのが、子どもにかかる経費の均等化であった(Lindberg&Nordenmark,1980)。子どもに関する課税控除は従来低所得者よりも高所得者世帯を対象とし、したがって家族援助の重点は高所得者階層におかれていたといえる。1948年のすべての子どもを対象とする児童手当金導入によって、有子世帯に対する援助は初めて一律になったといえる。さらに、1969年の住宅手当金の導入は、家族政策を低所得者階層の援助に重点をおく方向に転換させていった。公平さという観点から、同じ所得力を持つ有子世帯と無子世帯の水平的所得均等化が促進されていった。1960年代にいたっては、低所得世帯と高所得世帯の間の垂直的均等化がより一層の公平さを求めて取り上げられていった。また、家族政策は社会資源の均等化を実現するために、完全雇用政策、連帯的賃金政策、課税均衡化など、他の政策との連携を実現する方向に変革されていったといえる。この家族政策の新しい方向づけは、賃金労働者の所得の均等化に加え、子どもの利益に焦点をおき、さらに有子世帯間の所得均等化をはかるというものであり、伝統的な家族政策のジレンマに対する均衡を見いだす努力であったといえよう。
1960年代、家族生活のパターンに大きく影響を与えたのが、女性就業の増加であっ

 

 

 

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