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の運河を確認できる跡が一筋の小川の形で残っている。ここも発掘が前提となって、当初の形態を確認した後に、両方共に親水公園を建設したい。堀川運河の全貌を復元するかどうかは地域住民と行政側との判断で決めることになるだろう。それを尊重したい。この2箇所の突起状の敷地は主流とは異なり、ゆっくり流すこともできるし、池とすることもできる。また、噴水で水を循環することもできる。種々の活用方法がある。そのためには当初の運河の大きさを一部は復元で示し、一部は地上に立てた造形で示すことを提案したい。油津にとって堀川運河は母である。繁栄をもたらし、生みの親である。堀川運河を復元することは再び油津を生き生きさせることにつながる。堀川運河は忘れ去られ、潜在化してしまった。それを顕在化することで、新たな発見がある。その顕在化に堀川親水公園が大きな役割を果たすであろう(図173)。

 

3 堀川散策道の設置
油津内に二筋の主要街路が遺構を中心に見た時に考えられる。その一つが堀川運河と油津を結ぶ東西街路の下町通りである。国道220号線を越えて進むと道路幅を2倍程に拡張した都市計画道路がある。この東西街路は油津の丁度中心を通っている。もう一つの街路は同じく油津の中心を今度は南北に通っている。現在この街路は拡幅され、車の往来の激しい国道220号線である。堀川運河が尾根を縦断したと同様にこの国道も尾根を断ち切った。この街路は海岸と陸を結んでいる。両者つまり運河と陸を結ぶ街路と海と陸を結ぶ街路の交点あたりは油津の中心といえる。これら両街路を歩くことは散策というよりは、見学コースである。もう1本の長い街路、それは材木町から堀川橋を渡って、上町通りを過ぎ正行寺の階段下を通り、潮満寺近くを通って、尾根の麓を通る一筋の街路である。終点は下東児童遊園である。この一筋の道には小さな社もある。大小さまざまな町家が並ぶ、生活と共存する道である。それは自然の中に通された哲学の道に対し商学の道である(図174)。
外観、建築物の外観は皆んなのものだと思っている。自分の家、住居だから自由に造れるというものではない。両隣りを気にしながら、軒の高さを決めたりする。歩く人々のことを気にして、少しの土地に花を植えたり

 

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図173 2箇所の親水公園

 

 

 

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