日本財団 図書館


 

第3節 保存と活用の方法

 

人間は快適な生活を営むために努力する。一方技術の発展に伴って生活が便利になり、時間に余裕が生じる。それは快適な生活を営むことにつながる。つまり、8時間労働、8時間就寝、残りの8時間を余暇の利用にできるからである。それはすばらしいことにちがいない。時間の余裕は私達を培ってくれた文化を理解することになり、何が大切かを明確にできる。その後に保存と活用を考えることが大切であろう。町並みを美しくするにも堀川運河と調和させるにも一人一人がどう考えるかが大切だからである。総論では、賛成であっても、いざ自分の身近なことになると躊躇するのであれば、着実に進まないし、長続きしない。しかし、意識調査において、大多数の方々が町並みの保存について賛成であった(第5章参照)。それは最も大切な点がクリヤされたことを意味する。
では、具体的な活用方法について、3点だけを述べたい。

 

1 町家の公開
最も大切な下町通りに、上京屋の河野家主家が空家になっている、この主家は油津の町並みで大切な位置を占めている。是非、保存し、公共の場としたい。明治中期の町家と推定できるし、街路側に座敷がある。2階建で造りがしっかりしていて、材料の質もよい。しかし、使っていないために破損箇所がだんだん大きくなってきている。もしこの主家が公開されるなら、大規模な町家を見ることができる。特に内部に資料を並べなくても、町家そのものの空間を理解することができる。実際に住んでいる町家の内部を見ることはご迷惑であり、困難であろう、それは当然である。油津に訪れる人々に町家の内部を見せることができれば、他の町家の外観を見て歩くことで、内部の様子を推察できる。それはすばらしいことである。ありのままの姿で、町家を公開する。するとそこには生活がにじみ出ている。そこから当時の生活を体験することができる。現代の住宅と比較できる。このことで知識が豊富になるし、立ち止まって現在の私達の住居を考えることができる。現在の私達の住居の天井がいかに低いことや、閉鎖的に造られていることが分かるだろう。

 

2 堀川運河の復元と公園の設立
堀川運河は広々とした広渡川(写真325)の河口近くから花峯山の麓に沿って、掘削した。現在埋め立てられ、河幅を狭くし、水門(写真326)がある。この辺りから広渡川に沿って上流に向い、蓑手川(飫肥城下では酒谷川)との合流を更に上流へ蓑手川に沿って緑地帯を設けて、日南土木事務所が21ひむかの川辺づくり推進事業としてふれあい回廊をつくり、そこには、2つの児童公園(鵜木児童公園・高樋児童公園)を建設する計画である。このふれあい回廊の東端が丁度堀川運河の出発点になる。この出発点から堀川運河は埋め立てられたために小川の如く流れている。しばらく流れて、幅の広い堀川運河に達する。堀川運河は他の運河と異なり2箇所で行き止まりの運河を設けている。運河といえば川の如く、蛇行することはあっても、出発から終点まで一筋の川である。それが、2箇所で突起状に運河が付け足されている。これは堀川運河の特徴であり、使用目的が材木運搬にあったことによる。その材木を貯木する場に使用した。特に上流の方の突起状はもっともっと広かったであろう。現在貯木場に使用されている辺りまで広がっていた。この運河の当初の形態を発掘調査で確認した後に堀川運河の原形を把握しておく必要がある。もう1箇所は堀川公園の所である。大半は埋め立てられているもの

 

172-1.gif

写真335 広渡川河口

 

172-2.gif

写真336 堀川運河の出発点の水門

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION