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新しい町はどのように設計され、どのように実施されたのだろうか。詳細を伝える資料はない。
この機会、三町を中心に街区の大きさと道幅を実測した(図170にその結果を示す)。当然メートル法ではないため尺寸に換算した。江戸期の一間は統一されていないため一間を6尺3寸と6尺5寸に仮定して換算したものが図171である。(道幅の拡幅を考慮して修正を加えた)。完数は見られないが、6尺3寸としたときに60間40間20間に近いものが認められる。この段階では三間道路東側が60間(一町)と(道路真々で設計すると)20間(一町の1/3:背中合わせにすると10間奥行きになる)近辺の数値が可能性がある。
しかし最も西側のブロックはうまく角釈できない。
現在の西側ブロックは改変(西側に張り出す)された可能性を考える。岸側には荷揚げと荷さばきのための「勘場」があったはずである。護岸が動いていないとすると現在の状況では殆ど不可能に近い。西側ブロックの東西長について西側を後退させる。地形(標高)を参考にするとかなり後退することになる。結果として20間平方にするとよさそうである。そうすることで設計手法が確定した。
すなわち、西岸の後退地点から通りの終点までを二町とし三間通りから一町ずつに振り分ける。東側はそのままで西側一町を20間と40間に分けた。南北方向は道路を含めて20間とし、上町通り幅は2.5間、中町下町通りの幅を2間とすると実測値に極めて近くなる。
即ち、6尺3寸を一間として60間(一町)×20間を基本単位として西側から20間・40間・60間に割る。三間通りを南北軸に東西一町ずつに振り分けたと考えて良い。

 

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図170 町割実測図

 

 

 

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