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油津の最盛期にはこの土場一面に材木が山の様に積まれていたかと思うと面食らうほどの広さである。この貯木場に向かって掘られた凹部はコンクリート護岸で特に歴史的遺構は見られなかった。
運河を南下していくと、木組みのがっしりした造りの花峯橋にさしかかる。その北側の両岸に石積のスロープがある。最近では使われていないらしく、荒廃してはいるが、周囲の往復積の護岸と違いスロープの両角は整層積で、単調になりがちな護岸の石積のなかでちょっとしたアクセントになっている。

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写真239 護岸の石積

花峯橋を更に下流へ進むと、堀川のなかで最も湾曲を描く箇所にさしかかる。この湾曲部の花峯側には大きな岩の上に水神様が祭られ、山の斜面に建つ家の石垣も古く大切な場所であったことが伺える。湾曲が終わらんとする東岸にかつての御船倉のあった場所がある。今ではそこに国道が通りさらに向こうは宅地になっていて、当時の面影を偲ぶことはできないが、護岸をよくみるとわずかに石積で角の部分を持った箇所があり、御船倉の入口の下流側の所と思われる。しかし、この辺りの護岸も崩壊が進み、崩れた順にコンクリートで補修されている。ちょうどその対岸には石段があり、よく石積も残っている箇所である。
見法寺橋を越えると、この橋を越えられない大きさの

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写真240 石積のスロープ

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写真241 カーブをする堀川運河

船が係留されている。この橋より下流には船が多く繋がれていて、運河らしい景観となる。そして少し下流へ行くと、西北西に延びる支運河の象川が約450メートルも掘られている。象川は昭和49隼にヘドロや悪臭の処理対策として、支運河の北側約2/3を埋め立て堀川公園がつくられた。象川の遺構としては、南岸の護岸が往復積の石積で、さらに公民館の北側辺りにスロープが残っている。地図でこの象川付近を見ると、象川に沿って南側に2本の道が通り、そのまま北西に延び、やがて円弧を描いてJR油津駅へつながる。以前この道は鉄道の引っ込み線と呼ばれるレールが敷かれており、堀川運河から引き揚げた木材は鉄道により運ばれていた。この象川は運河から鉄道へといった、水上交通から陸上交通へと移り変わる変換装置の役割を果たしていた。また、象川の端にあたる南西の隅とそこから70メートルくらい下流へいった所に比較的大きな水路が流れ込んでいて、この2つの水路をたどると、今の市街地の辺りは専ら暗渠になっていて、JR油津駅にさしかかる辺りから水面が姿を現し、それぞれ山の方へさかのぼっていくが、象川の下流のほうにつながる水路は比較的大きな河川になっていて、暗渠の所で水路がいくつかに分かれているようである。よって象川はこの2つの水脈をもつ河川としての役割ももっており、本来川だったのではないかとも考えら

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写真242 石段

 

 

 

 

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