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第一章

青鬼かやぶき集落の調査概要

 

1 位置および経過

白馬村は長野県の西北部に位置する。青木湖を源とする姫川は、西側にそびえ立つ北アルプス白馬連峰の山々や東側の山々の水を集め、深い谷を刻んで北流して新潟県糸魚川で日本海に注ぐ。白馬村の集落は姫川沿いの小さな平地やそこから少し入った山間に立地している。現在28の集落があり、青鬼集落はそのうちの一つであり、姫川の右岸、海抜700mほどの山中にある。山中といっても、JR大糸線白馬駅から3.5km、国道148線の分岐点からは1.5kmの距離であって、白馬に市街地からほど近い距離にある。山腹の南斜面にある青鬼集落の周辺からは縄文土器が出土し、古くから人々の生活の場であったことが知られる。青鬼神社の創始は大同年間(806−809)と伝える。
江戸時代の青鬼は塩島村の一文郷であった。享保十一年(1726)塩島村には、切久保・立之間・西通・東通・青鬼の支郷があった。元和五年(1619)の塩島村の村高は32石1斗7升4合5勺であった。江戸時代末期の用水路の開削、水田開発の成功はこの小さな支郷にとって大事業であり、輝かしい記念碑である。
田中唯利家が所蔵する嘉永四年(1851)の「大町組塩嶋村宗門御改五人組帳」には五軒の家の家長以下、居住者の名前、年齢、続柄、出生地、旦那寺が記してある。五軒の家の人数はそれぞれ6、10、16、33、20人であってその合計は85人になる。当時の家族形態の一部をかいまみることができる。なお、青鬼のどの家も旦那寺は千国村(現小谷村)の源長寺である。
白馬村への観光客は、北アルプスの広大な自然、スキー、人々の暮らしに魅力をおぼえてやって来る。その数は年間350万人という。村の人口は約9800であるから、その多さは驚異的であり、村民の大多数はなんらかのかたちで観光業にたずさわっていることが推察される。このなかにあって、青鬼集落は、今も山間の農村として人々は暮らしている。家数15戸。最近建てた別荘の1戸を除く

 

 

 

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