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第5章 赤煉瓦保存活用事例



5−1 保存活用事例とその手法

(1)保存活用事例の歴史的変遷

 本節では、後にあげる赤煉瓦建造物の保存活用事例20例の歴史的変遷をたどりながら、その特徴と手法の流れについて述べるものとする。

?保存活用のさきがけ(倉敷アイビースクエア)
 日本の近代化において煉瓦建造物の果たした役割は大きい。近代化における主要な公共、民間建造物は煉瓦によって建造された。しかしながら、関東大震災により、煉瓦建造物の大半が崩壊したことにより、それ以降は新規に建てられる煉瓦建造物は姿を消すことになる。しかし、それ以外の地域で煉瓦建造物は綿々と歴史を紡いできた。戦後まで煉瓦建造物が残存し、利用されてきた施設は大別すると次の3種になると考えられる。
●公共建築物(庁舎等)
●工場、倉庫
●鉄道等土木棚造物
 その他一部において住宅や事務所ビルがみられる。1960年代以前については、それら赤煉瓦建造物は従来通り使用されてきたといえる。しかしながら、1970年代以降の高度成長期時代にはいると、その多くは時代にそぐわないということで建て替えられてきた。その時代、保存活用というのは極めて特異な例として発生していたといえる。
 1969年、造幣博物館が開館しているが、そのように公共施設が博物館、資料館的に活用されるというのが主流の中で、1974年倉敷アイビースクエアがオープンする。これは、産業文化財保存と観光施設をドッキングされるといるその時代では画期的な試みであった。これは倉紡という会社としての野心的試みであり、一般化するにはまだ年月を必要とした。また、文化財としての認識は少なかった時代でもある。

?保存活用の機運の高まりと民間活用の進展
 (姫路市立美術館とカーニバルプラザ)
 1980年代となると、明確に保存活用を意向した動きが出て来るとともに、煉瓦建造物のノスタルジック等を売り物とした民間活用も行われるようになる。1982年に開設された「白鹿記念館」等はまだ一企業の特異例といえるが、前者の例では1983年の姫路市美術館、後者の例では大阪府吹田市のレストランカーニバルプラザ(1983年)や神戸市の六甲ヴァントワァ(1982年)があげられる。
 しかし、この頃の保存活用はまちづくりとの連携は少なく、まだまだ単体としての特異例といった要素が強かったが、国の重要文化財指定も一部の建物において行われるようになった。

?まちづくりと多面的展開(函館、神戸等)
 1980年代も後半になると、煉瓦建造物をまちづくりの核にすえようという動きと、利活用の幅も多面的に展開してくる。函館は一早く港町として近代建築物群を活かした「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受け、その中で活用がやりやすい煉瓦建造物(倉庫)を「函館ヒストリープラザ」「BAY函館」として保存活用する(1988年)。また神戸市はハーバーランド開発事業という面開発の中で「煉瓦倉庫レストラン1を開設する(1990年)など明らかにまちづくりの中で煉瓦建造物を位置づけることが行われるようになった。
 また、保存運動の高まりにより、保存活用される物件も増加してくる(兵庫県公館1985年)。その中で活用の幅も広がり、重要文化財として初めて営業施設とした旧居留地15番館(神戸市1993年)や商業ビルとして再生したSACRA(京都市1988年)などが現れてくる。更に、対象も

 

 

 

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