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に“桃の木は鬼神達がおそれるものだ”と記録されている。ところで問題は『慵斎叢話』に新しく登場する小梅は即、現存する大部分の仮面敷にも登場する人物(小巫・小梅園氏)だという点である。儺礼と仮面戯の相関性が見られるのだ。
一方、朝鮮朝成宗二十四(一四九三)年に編纂された『楽学軌範』の<鶴蓮花台處容舞合設>條によると、儺礼では楽工たちが音楽を演奏し、妓女たちが歌をうたうなか、處容舞・鶴舞と蓮花台舞を舞ったと記録にある。十二月三十日の前夜、五更初に楽士・女妓・楽工たちが宮中に入ってくる。十二月三十日儺礼を行う時、楽士は妓女と楽工をしたがえ、音楽を演奏し駆儺をする。そして、處容寿・鶴舞と蓮花台舞を舞う。この處容舞は五つの方位を象徴する五万處容が青・紅・黄・白・黒色の衣裳に紅い色の仮面をかぶり、四方の雑鬼を追い払う踊りを踊った五方處容舞である。『楽学軌範』巻九「處容官服」によると、處容仮面の頭には牡丹と桃の木の枝がさしてある。牡丹は富貴を象徴する花であり、桃の木の枝は鬼神を追い払う辟邪的な性格をおびている。したがって、處容の頭にさしてある牡丹と桃の木の枝は辟邪進慶を意味するのである。
次は、朝鮮時代に地方の官衙で行った儺礼の様子を見てみよう。宮中では宮殿の近くの所々で銃をうち音をたてる。そして地方の官衙では優人達が仮面をつくってかぶり、にょうはちを鳴らし棒をふりかざしながら号令をかけ、なにかを追いはらうまねをしつつ、なん回かまわって出ていく。これは儺礼からでたものである。
引用文は『洌陽歳時記』正月元日條にあるもので地方官衙で行った一般的な儺礼の様子を紹介したものだ。
慶尚南道咸安の府使をした呉宛黙は高宗二十八年(一八九一年)の除夕の咸安官衛で行った儺礼を見学し記録を残した。いくつかの楽器を演奏するなか、子供たち二十〜三十名が音楽にあわせて入ってくるのだが、これは宮中儺礼で子供数十名を振子とした点と一致する。そして何十名の壮丁たちが楽器をもって官衙の広場で演奏する姿を描写しているのだが、これは農楽隊の演奏である。つづいて、巨漢が仮面をかぶり病身舞を踊った後、子供たちが大人の肩の上に立って踊る舞童舞が描写されている。注目されるのはこの遊び(ノリ)を“埋鬼戯”と記録している点である。
農楽隊の演奏と病身舞・舞童踊り、そして、六曹(六官庁)をまわりながら躯儺する内容は現在なお正月のはじめに農楽隊が地神踏み・メグ(埋鬼)・メグチギ(埋鬼打ち)といい両班・僧・閣氏・砲手・舞童など、雑色(チャプセク)たちを同伴し各家庭を訪問して、家の中のすみずみをまわりながら雑鬼を追い払い福を祈願する様子と一致する。
高宗三十年(一八九三)慶尚南道固城の府使として赴任した呉宜黙は十二月三十日除夕を迎え、邑内で行われた儺礼を目撃して次のように記述した。呉宜黙が目撃したものは、風雲堂.という邑内の祭堂で行った祭儀と官衛で演じた儺戯である。この記録の中で注目すべき点は、夜に官衙で火を約しながら行った仮面戯である。楽しく賑やかに音楽が演奏されるなかで、月順・大面・ハルミ広大(老姑優)・両班広大(両班倡)が奇異かつ怪しげな姿で登場する。勿論、これは現在の固城五広大仮面戯とは違う。現存する固城五広大は、一九〇〇年以後に昌原もしくは統営で習ったものであるからだ°しかし、官衙の儺礼で駆儺のために仮面戯を行った事実を伝えてくれる大変重要な資料である。
そして、慶尚南道統営でも統制使の営門が設置されてからは、毎年十二月三十日、統制使の東軒に入って、夜遅くまで理鬼をし、仮

 

済州道の地神踏み

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