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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 中国でも育ち始めた多様な歴史観  
コラム名: 正論  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2006/06/30  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ■若手学者の日中共同研究に期待

 ≪理性的で学問的な対話を≫
 日中関係は好むと好まざるとにかかわらず、一衣帯水の協力関係が拡大し、それが両国の利益、アジアの安定につながる。しかし、現状は経済を中心にした幅広い民間交流の半面、政治・外交関係は冷え込んだ状態にある。
 各種世論調査で顕著になっている「軍国主義」など、中国の若者の日本に対する誤ったイメージが、メディアや教科書を通じて現在も続く中国政府の愛国教育に最大の原因があるのも間違いない。だが、日本側にも、戦後一貫して武器輸出をせず、一度たりとも人に向かって実弾を発射してこなかった「平和日本」の真実の姿を、自ら積極的に発してこなかった責任がある。
 しかし近年、海外に出掛ける大量の中国人留学生や観光客は、自国について冷静に判断する能力を身に付けつつある。共産党独裁の中で、自分の意見をまだまだ率直に表明できないだけで、多様な認識、考え方が確実に醸成されつつある。従って、いま必要なのは互いの民族主義を刺激するような発言ではなく、理性的で学問的なアプローチではないだろうか。
 私も顧問として名を連ねる笹川日中友好基金では、2001年に「日中若手歴史研究者会議」を立ち上げ、日清戦争前の19世紀後半以降150年間を対象に、日中関係史の代表的な争点について、これまで勉強会やシンポジウムを開催してきた。
 そして今回、この共同研究の成果を「国境を越える歴史認識?日中対話の試み」にまとめ、5月末に日本語版を東京大学出版会から、中国語版については中国社会科学院・社会科学文芸出版社から同時出版した。
 ≪「30万人説」の追認はせず≫
 執筆者は、日本や米国で歴史研究を進める若手の中国人学者3人、日本人学者8人。5年間の研究を踏まえ、日中戦争から南京事件、歴史教科書、戦後補償問題、靖国参拝などについて双方の解釈、相違点を中心にまとめた。
 南京事件や台湾史をめぐる記述では、執筆者だけでなく日中双方にも不満があったと思う。
 南京事件の文章責任者、楊大慶・ジョージ・ワシントン大准教授は、「南京で日本軍が大量の虐殺と各種の非人道的な事件を起こしたのは動かぬ事実」としたものの、焦点の犠牲者数に関しては、中国政府が一貫して主張してきた「30万人説」をオーソライズするのを避けた。
 その理由として楊教授は、戦闘時の死者と非戦闘時の死者が区別されていない点や、逃亡を防ぐため中国軍によって射殺された犠牲者の存在なども指摘し、「30万人説」には「多くの主観的要素が含まれている」と述べている。
 ともあれ、共産党政権下の中国で、全文を正確に中国語に翻訳して出版された意義は大きい。北京で行われた出版発表会で社会科学院近代史研究所の歩平所長は、同じ中国人でも国外で研究する学者と国内の学者では考え方に違いがあるとしながらも、「両国の若い歴史家が冷静で理性的な交流を一層、深めていく必要がある」と今回の同時出版を高く評価した。
 日本側編集責任者の三谷博・東大大学院総合文化研究科教授も、「日本と周辺諸国の間には歴史認識という壁があるが、門がないわけではない」と、この本が幅広い共同研究の足掛かりとなるよう期待を寄せている。
 ≪一致より重要な違い確認≫
 両国にはそれぞれの国益があり、国の制度も違う。同じ歴史資料でも、よって立つスタンスによって解釈は異なり、歴史認識が一致することはない。認識の一致よりも、どの点で解釈が異なるのか、両国の学者がより客観的な共同研究を進めることが何よりも重要である。
 今回の出版を見るまでもなく、中国の対日政策には変化の兆しも見えるが、外交レベルの交渉には依然として困難が付きまとう。しかし、靖国参拝問題に代表される宗教や心の問題は元来、民族の伝統、価値観の問題であり、政争の具にすべきではない。安易にナショナリズムを刺激する指導者の発言は、決して建設的とは言えない。
 日中両国は2000年以上にわたり、世界史的に見れば異例と言っていいほどの穏やかで良好な関係を保ってきた。中国の安定には、経済だけでなく、環境問題など幅広い分野での日本の協力が不可欠である。それは日本の利益にもつながる。
 日中の相互理解を前進させるには、静かな学術交流こそ重要である。次代を担う若手研究者のさらなる努力に期待したいと思う。(ささかわ ようへい)
 



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