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著者: 山田 吉彦  
記事タイトル: マラッカ海峡の管理の現状と課題とタジマ号事件判決を受けて  
コラム名: 第35回JSE交流会  
出版物名: (社)日本海運集会所  
出版社名: (社)日本海運集会所  
発行日: 2005/09  
※この記事は、著者と(社)日本海運集会所の許諾を得て転載したものです。
(社)日本海運集会所に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど(社)日本海運集会所の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本財団が政府に働き掛けてきた問題の一つが海賊問題です。私が海賊問題に初めて携わったのは1998年のテンユウ号事件です。アルミインゴットの積荷を積んでインドネシアのクアラタンジュン港を出て、韓国の仁川に向かい、マラッカ海峡内で海賊に襲撃された事件です。当初は海賊に襲撃されたとは分かっておらず、船がいなくなったので探してほしいという問い合わせを受けました。マラッカ海峡の航行安全の担当をしていましたので、いくつかの場所を当たって見ました。仮にマラッカ海峡で船が沈んでも、狭い海峡ですから分からないことはない。マラッカ海峡に海賊が時々でるという情報が届いていたので、これは海賊ではないかと思い、探し始めました。そうしたところテンユウ号が上海の上流150キロあたりの張家港で中国当局に発見されました。これによって、実際に海賊に襲われたことが分かりました。

身代金目当ての海賊へ

 昨年12月インド洋で発生した津波により、その後一時的に海賊による被害は途絶えていましたが、全くなくなっていたわけではなく、私どもの関係する航路標識敷設船がジャカルタからアチェに向け救援物資を運んでいるとき、アチェ近くで海賊グループに襲撃される事件がありました。船は救援物資の輸送に当たっていたので海軍の兵士を乗せており、銃撃戦で海賊を退けることができました。津波から2カ月が経ち、海賊も再びマラッカ海峡で活動を開始しました。
 今年3月14日、マラッカ海峡で日本船籍のタグボート、韋駄天号が海賊に襲撃されたニュースをお聞きになっていると思います。この事件でマラッカ海峡における海賊問題が再び注目されました。身代金目当てに日本人船長、機関長、フィリピン人の3等機関士が誘拐されました。韋駄天号はインドネシアのバダム島から石油掘削機を乗せてミャンマーに向け航行中でした。本船には暗くなった6時過ぎに漁船が近づいてきました。この漁船はすでに海賊に乗っ取られたもので、10人ほどの海賊が乗っていました。海賊は対戦車用のロケットランチャーなどで全員装していました。犯行に要した時間はわずか10分で、この間に船に乗り込み、手近にあったわずかな金品、海図、船籍証書、3人の人質をとって逃げました。船籍証書は身代金要求に際し船を断定するために必要であり、海図は彼らにとって高価な必需品のため盗まれることが多いようです。金品は手近にあるものだけで、時間の掛かる金庫には手をつけません。目的はあくまでも身代金を手にすることだからです。韋駄天号が短時間に襲撃された理由はマラッカ海峡ではマレーシア側を中心に警備体制を敷いており、追跡されないで逃げ切る必要があるからです。それには短時間で済む人質の捕獲という行為になります。
 ところで、2004年はマラッカ海峡で36人が人質となり身代金を要求されました。殺害されたのは4人で、これはインドネシア人11人が人質として囚われ600万円の身代金を要求された事件で起こりました。船主側が身代金を100万円まで値切り、それでも身代金を出し渋っているうちに、人質の船員が海賊に反抗に出て、4人が殺され、7人が海に飛び込みどうにか逃げ出しました。

海賊を許容する環境

 さて、韋駄天号の誘拐された3人の船員はインドネシアの国内を転々としました。ペナン島の対岸にある島に立ち寄ったことは分かっています。その後、スマトラ島の入り江の中にある隠れ家に身を隠していたと思われます。逃げる課程で、何隻かの漁船を襲撃しています。
 インドネシアの島々には海賊を許容する環境があります。ロビンフッド型海賊と呼ばれ、生きるための生業として、村の若い衆が海賊業をやっています。持ち帰った金品を村人に分け与え、村にとけ込み、匿われています。このような関係が築かれているので、漁民と海賊の区別がはっきりしない状況にあります。
 海賊の武器は中国製のカラシニコフが中心となっています。韋駄天をおそったグループはM16も持っていました。この出所はインドネシア軍ではないかと推測されています。過去にも軍隊から武器を借りた海賊がいました。

フィリピン南部では海賊がモロ民族解放戦線にお金を払って武器を借り、上がりを凍えて武器を返していたようです。

IBMが海賊情報の収集・発信

 海賊事件の国際的な統計は国際商業会議所の国際海事局(IMB)でまとめています。IMBから毎日海賊情報が私のところにも送られてきます。IMBが海賊の統計を取り始めたのは1991年で、当時、南シナ海、フィリピン沿岸、マラッカ海峡などで海賊事件が頻発していました。フィリピンのモロ民族解放戦線関係のグループや中国人のグループなどが海賊を行っていた時期です。
 それまでもIMOなどの国際機開も調査をしていましたが、海賊の件数は減らなかった。そんな中で、海事関連の企業が資金を出し合い、クアラルンプールに民間の海賊情報センターを設立しました。これがIMBで、海賊被害情報の収集と対策のための情報の発信を開始しました。これまでの海賊事件発生が最多の年は2000年で446件です。

東京で海賊対策国際会議開催

 アロンドラレインボー号事件を契機に海賊問題に取り組んだ日本の海上保安庁は日本財団の提案に基づき2000年4月に東京で海賊対策に関する国際会議を開催しました。アジア各国の海上警備機関の代表が参加しました。海賊対策として国際協力の分野で何ができるのかが議題に取り上げられました。まずは情報交換を推進しようということになりました。また、日本が協力して、各国の人材育成と警備施設の強化に取り組みました。警備船を贈ることにもなりました。各国で対策が行なわれた結果2001年には海賊発生件数は134件ほど減少し、335件になりました。
 しかし、時間の経過と共に各国の海賊対策への取り組みに緊張感が欠けて来ました。2002年には370件、2003年には445件と増加しています。そこで、テロ対策も含め、アジア海上保安機関長官級会議が東京の船の科学館で開催されました。具体的に情報発信の相手を確認し、被害に遭ったときの連絡表を作成し相互に確認しました。特に重要なことは、軍としてではなく、海上警備機関として協力していくことが確認されたことです。
 軍関係者が出動するとなるとアジアの関係各国は国境紛争を抱えているのでトラブルが拡大する可能性が大きくなります。9.11の同時多発テロ以降、アメリカ軍の活動が東南アジア海域でも活発になりました。もしも軍事衝突になった場合、米国海軍第7艦隊が介入する可能性があります。マレーシアやインドネシアのイスラム教国は中東諸国との関係からこの艦隊の受け入れを認めないでしょう。このような中で、国際法に基づいた警備機関同士の協力が重要となります。国際法に基づいた海上治安を確保していくという環境が進んでいます。

 海賊事件で今問題となっていることは海賊の重武装化が進んでいる事です。2003年455件の海賊事件のうち、拳銃を持っていたケースが100件。刃物を持っていたのが143件。マラッカ海峡で報告されている海賊事件は全て武装化しています。この背景にはカンボジア、ミャンマーなどの政情不安から自由アチェ運動が海賊の動向に関する情報を入手し、武器を与えていることがあります。インドネシアはアジア通貨危機からその後なかなか立ち直ることができていません。ジャカルタ中心のインドネシアにおいてスマトラ、なかんずくアチェは辺境の地です。警備が手薄になっているうえ、綱紀もゆるんでいるので、武器を海賊が使うようになっていると言われています。
 2000年頃の海賊は国際シンジケートを作り、獲物は人ではなく船でした。国際シンジケートは香港、クアラルンプール、シンガポールに拠点を置いたチャイニーズマフィアであると言われています。このシンジケートが元々マラッカ海峡で海賊をやっていたグループを雇い入れたようです。司令船がマラッカ海峡のどこかにいて、船を襲撃させ、乗っ取っていました。アロンドラレインボー号の場合は積荷を積んだ港ですでに海賊の手先が乗り組んでいます。船の中からロックを解除して仲間を手引きしました。このグループはバタム島に本部を置き、そこから指示を出していました。この事件は犯人の一部がインドのコーストガードに捕まったことである程度の事が分かりました。

 アロンドアラレインボー号事件では漁船が襲撃してきて、乗組員17名全員が船に移され、そこで6日間拘留され、その後ライフラフトに乗せられ、11日間太平洋を漂流しました。アロンドラレインボー号はマラッカ海峡を通り抜けインドネシアのミリ港に入り、そこで船の色を塗り替え、積荷の一部を他の船に移しています。この船はベトナム経由で中国シンジケートにアルミインゴットを渡し、それはフィリピンで見つかっています。積荷は善意の第三者に渡ったということで戻ってきませんでした。密売ルートに中国系マフィアがいることが分かってきました。
 IMBは実はアロンドラレインボー号に2000万円の懸賞金を掛けていました。それによって数多くの情報が集まりました。インドコーストガードがアロンドラレインボー号と交戦し、操船していたインドネシア人船員を逮捕しました。このインドネシア人海賊は現在インドで懲役7年の刑に服しています。アロンドラレインボー号は発見された後、修繕のために日本に戻ってきましたが、膨大な修繕費がかかる事が判明したため、売船され、現在はインドネシア海域のどこかで動いています。

 アロンドラレインボー号事件以降国際協力体制が整い、ハイジャックされてもほとんどの船が発見されるようになりました。国際シンジケートは海賊業から撤退し、本業の密輸に戻りました。ただし、マラッカ海峡では元々海賊をおこなっていたグループが生き残っています。私もこれらの島々を訪れて彼らの話を聞きましたが、海賊でもしなければ生活できないほど貧しく、大型船の高価な積荷を狙うのではなく、弱い船を襲い金品を盗るという事件が多発しています。

テロリスト海賊の出現

 2001年6月末に自由アチェ運動のスポークスマンがマラッカ海峡を航行する船舶は自由アチェ運動の許可を取得しなければならないと宣言しました。自由アチェ運動のからんだ2件の重武装化した海賊事件が起こりました。これ以降、重武装化した組織だった海賊をテロリスト海賊と呼んでいます。インドネシア海軍が捕らえた海賊事件のうち3件に自由アチェ運動関係者がいたと報告されています。テロリスト海賊の狙いはあくまでも身代金です。そのため、速度が遅くて襲撃しやすい小型のタンカー、漁船、タグボートが狙われています。
 韋駄天号はバタム港を出たときから狙われていたようです。夕暮れ時に待ち伏せされていた兆候があります。バタム島に海賊の本部があるのではと推測されています。この事件でも実際に身代金の要求があったと報道されています。この事件の解決にはマレーシアで働いている日系企業の方が間に入り、交渉を進めていました。当初はプロの交渉人を頼むことで話が進んでいましたが、時間とお金がかかるということで止めました。
 一般的に身代金の要求額は数千万円と言われています。?人あたり一千万円の要求で半値から6割で落ち着くようです。マラッカ海峡で3日?1週間警備を雇うと一千万円のお金がかかります。海賊達が要求して折り合いがつく金額はこの警備費以下の金額です。要するに、警備を雇うか身代金を支払うかの問題になります。海賊に襲われる確率は2万分の1程度です。マラッカ海峡の海賊は滅多に人を殺すことはありません。このような事情で、現在警備は雇われていません。マレーシアでは武装した警備員を乗せること自体法に触れると宣言しています。
 日本政府は韋駄天号の事件を契機にマレーシア政府に強く働きかけ、現在マレーシアでは警備がかなり厳しくなっています。海賊被害も非常に少なくなっています。数日前に今年上半期の世界中の海賊の発生件数が出ました。昨年の海賊事件は325件、上半期182件。今年の上半期は127件で2000年以降では最低の数字です。マラッカ海峡では昨年上半期には20件の海賊事件がありました。今年は8件です。日本船が襲われ、日本が圧力を強めたので海賊がやりにくくなったからです。このまま警備が続けばいいのですが、なかなか緊張は持続しません。

今後の対策
 
 外務省を中心に海賊対策について地域間協定を結んでいます。シンガポールに政府間の海賊情報センターを作ることが骨子となっています。この協定発効に向けてはアジア地域で10カ国の署名が必要です。現在署名国はシンガポール、日本、カンボジア、ラオスの4ヵ国です。シンガポールに情報センターを設置しシンガポールが情報を管理することに、マレーシアやインドネシアが納得することは難しいことです。イスラム教国とそうでない国の違いは明白です。この沿岸3カ国は決して仲の良い国ではありません。イギリス的に国を作られたマレーシアとオランダが体制を作ったインドネシア、それに華人国家のシンガポール。日本はそれぞれの国と連携をとっていく必要があります。しかし、日本の外務省も海上保安庁もそこまでは動いていません。
 今年、「やしま」という海上保安庁の巡視船がインドネシアでの合同訓練の後でマラッカ海峡に入りたいと言うときに、海上保安庁はパトロールという言葉を使ってしまいました。マラッカ海峡はこの3国のいずれかの領海に入る事になります。他国の領海をパトロールするのは何事かという事になりました。マレーシアはノーと回答しました。親日家で国家安全保障庁の海洋局長が日本政府に訂正を求めてパトロールではなく、ペナン島に入って友好的な行事をやろうという言い方に変えて軍部を説得し、「やしま」はどうにかマラッカ海峡に入ることができました。
 このようにパトロールと言う言葉?つで主権を侵害するということになります。もう少し言葉を慎重に選んで発しないと、東南アジアでは友好関係を築いていくことは難しい。友好関係がなければ海賊対策も進まなくなります。

 マラッカ海峡は数カ国の領海に跨っているので、他国の警備船がはいる事による主権侵害の問題があります。これに対してどうするかですが、一つの対策はIMOのフラッグを掲げた多国籍による警備システムを作ることです。もしくは純民間の警備組織を作り、航海自由の原則で、航海計画を作り、それぞれの国の領海に入っていく方法が考えられます。
 30ノットの船をシンガポールで2日借りた場合、10人程度の乗組員で10万円。インドネシアで借りればもっと安い。それぞれの国の警備機関に連絡の取れる体制を作りやっていくというような事を提案しています。まずは、夜間航行実態調査を行いたいと各国に打診しています。マラッカ海峡に船名などの特定できない船、無灯火の船、航行不審船がどのくらいいるのか、また、これらの船に対する問いに沿岸国がどの程度応答してくれるのか調査する計画です。インドネシアでは問い合わせにインドネシア語でしか応答しないなどの問題が指摘されています。英語で回答できるように改善を求めていかなければなりません。一番重要なことは各国がしっかりした警備体制を構築することですが、インドネシアで海上警察と話をしたところ次のように言われました。
  海賊事件は世界で年間400件程度。インドネシアだけで殺人、強盗など数え切れないほど多くの事件がある。マラッカ海峡で海賊に襲われるのはどのくらいか。日本人が夜ジャカルタの町を一人で歩いていたら必ず襲撃される。何よりも自分のことは自分で守らなければいけない。
  自衛のためにもマラッカ海峡で常に連絡を取れる体制を作る。自衛策を講じている船は襲撃されにくいことは事実です。極力自衛策を講じ、沿岸国の警備機関に警備の強化を要求していきたい。日本財団は民間の一団体として皆様と共に警備の強化に向け声を挙げていきたいと思っています。

「FOC船の問題?タジマ号事件判決を受けて」

 タジマ号事件を契機に進歩したことの一つは刑法の改正です。すなわち、外国で日本人が事件に巻き込まれた場合日本の刑法が適用できるということは一歩前進です。しかし、タジマ号はパナマ籍ですから優先権はパナマ法と考えられます。パナマが面倒だから日本で裁判をやってくれといった場合にこの刑法の改正は有効になります。現在、中国船籍もどんどん増加しています。中国籍船で起こった犯罪についてどう対処するのか。

 船長協会の会合で、今後船長の権限について明確にしていこうという方向が出されました。実際船長がどの程度の権限をもっているのかについて、いままで整理されてきませんでした。また、船長はパナマなどの便宜置籍国の法律をどの程度理解しているのかという問題も指摘されました。また、日本人船長がフィリピン人船員同士のトラブルをどの様に解決していくのかなども重要な問題です。

 このような問題を含め、海上ではまだ研究を重ねる必要のある多くの問題が存在しています。日本の輸入品の99%は船で運ばれていますが、日本船籍は99隻にまで減少してしまいました。このような中で日本の船の安全をどこまで守ることができるのか。例えば、フィリピンが内乱や他国と交戦状態に入り、フィリピン人船員の供給が困難になったときにどうするのか。パナマとアメリカの間には二国間協定があり、パナマ船がアメリカ法に抵触した場合、アメリカ法が適用されると唱われています。日本が直接関係しないところで、日本の財産が危険にさらされる可能性が十分あります。まだまだ不確実な事が多い中で、このように、便宜置籍船は重要な問題をたくさん抱えています。これは日本船社だけでなく日本政府にも考えて頂きたい。第二船籍を含めてもっと柔軟な考え方をしなければ、便宜置籍船に関する解決策は見いだせません。海運企業が元気な時、また世間が海運を求めているときに対策を講じないと、便宜置籍船の問題は解決に向かわないと思います。国土交通省でも世代交代と共に現実的な制度を考えていこうという方向に来ているようです。日本船主協会の鈴木会長が当財団会長の笹川を訪問頂き、話し合いをされました。このようなことは今までありませんでした。これから海のことを、国、船社、我々のような団体が一緒になって考えていこうという風潮にようやくなりました。タジマ号や韋駄天号のような事件が二度と起こらないような環境を作っていかなければなりません。第二船籍の問題について再び議論の機会が与えられるならば、もっと広い範囲で声を一つにしていくことができる時期が来ることを望んでいます。
 



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